ホロコーストについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 04:52 UTC 版)
「サティヤーグラハ」の記事における「ホロコーストについて」の解説
1930年代のドイツでのナチスによるユダヤ人迫害(英語版)について、ガーンディーは抑圧と虐殺に対抗するための手段としてサティヤーグラハを提案している。 もしも私がユダヤ人で、ドイツに生まれており、そこで生計を立てているとしたら、私はドイツを自分の国であると主張するでしょう。たとえ背の高い異教徒のドイツ人がここは自分たちの国だと強弁しようと私は譲らないでしょう。そして私は彼らに、撃ってみろと、投獄してみろと挑みます。私は国外へ追放されることも、差別的扱いに屈服することも拒むでしょう。一方でこのために、自分の行っている抵抗運動に仲間のユダヤ人たちがついてきてくれることを待つようなことはしません。しかし私は、仲間たちは最終的には必ず私の例に倣ってくれるものと確信しているでしょう。もしもユダヤ人の誰か一人が、あるいはすべてのユダヤ人がこの戦略に賛同してくれたとして、賛同してくれた人たちの状況が今より悪くなるということはないでしょう。自発的に苦難を選ぶという選択は、かれらの内に力と喜びをもたらします。(中略)アドルフ・ヒトラーの計画的な暴力は、ヒトラーに対して公にしたそういった敵意への最初の回答として、ユダヤ人の無差別の殺戮という結果をさえもたらすかもしれません。もしもユダヤ人に「自発的な苦難」に対しての準備をさせることができるならば、私が想像している殺戮さえも感謝の祈りの日に、エホバによって約束された民族の救済の日に変わるかもしれないと、わたしは思う。たとえ独裁者の手の中にあったとしても。 上記のステートメントが批判を受けるとガーンディーは「いくつかの質問に対する回答」という記事にて反応した。 ユダヤ人に関する私の主張に対して寄せられた2つの批判記事を友人らが送ってくれた。この2つの批判は、ユダヤ人に対する不当な扱いに対抗する手段として私が提案した「非暴力」には、目新しい部分がまったくないというものだ。(中略)私が期待したことは、心の内側から暴力を放棄すること。そしてこの偉大な放棄から生まれる力の積極的な実践である。 同様の文脈で第二次世界大戦に予想された日本によるインドへの攻撃に対して、ガーンディーは国防手段としてのサティヤーグラハを提案している。(これは現在シビリアン・ベース・ディフェンス(英語版)、あるいは社会防御(英語版)とよばれているものにあたる。) (略)そこには純粋な非暴力、非協力戦略が用いられるべきである。もしもインド全体が団結してそれを実践するならば、私は一滴の血を流すことなく日本の武力を、あらゆる暴力を無力化できることを示して見せるべきでしょう。これにはいかなる点に関しても一切妥協をしないというインドの決意と、数百万の命が失われ得るリスクを負う覚悟が求められる。しかし私はこのコストは非常に安いもので、それにより得られるものには千金の値打ちがあると考えている。インドにはまだそのコストを支払うだけの準備ができていないというのが実際のところだろう。そうでないことを私は期待してしまうのだが、いかなる国家であろうとも、それが独立状態の維持を望むのであればこういったコストを支払うことからは逃れることができない。いずれにせよロシア人や中国人が払った犠牲は甚大で、彼らは全てを犠牲にする覚悟をしている。こういう理由から私の提案する非暴力戦略を用いることによって、他の国々が要求されているのと同等かあるいはそれ以上のリスクを、つまりインドが武力闘争を行う場合に要求されるリスクを、インドには負わないで欲しいと、私はお願いしている。
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