親ユダヤ主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「親ユダヤ主義」の解説
チャーチルはアーサー・バルフォアと並び、ハイム・ヴァイツマンに感銘を受けて英国政界で真っ先にシオニズム支持者になった政治家の一人である。首相在任中にもチャーチルはしばしばユダヤ人のパレスチナ移民を増加させたがっていたが、外務大臣アンソニー・イーデンが現地アラブ人の反発を買って中東駐留英軍が危険に晒されかねないと反対して押しとどめていた。 第二次大戦前・戦中、アメリカ世論は概して反ユダヤ主義的であり、ユダヤ人の問題についてはナチス・ドイツの主張に共感を寄せる者さえ少なくなかった。アメリカ政府もユダヤ人を救うための行動をほとんど起こそうとしなかった。一方チャーチルはユダヤ人に同情し、ホロコーストについて「この殺戮は恐らく世界史上最大かつ最悪の犯罪行為である」と怒りを表明し、アウシュヴィッツ強制収容所のガス室を空爆してユダヤ人を救出すべしと訴え続けた。しかし米英政府内でそんなことを主張しているのはチャーチルだけであり、「軍事施設以外の空爆など費用と時間の無駄」とアメリカ軍に反対されて退けられてしまった。 個人的にもチャーチルはユダヤ人との交友が多く、しばしば金銭援助も受けた。1938年に借金がかさみすぎてチャートウェル邸の売却を検討せねばならない家計難に陥ったことがあったが、ユダヤ金融業者サー・ヘンリー・ストラコッシュがその借金を肩代わりしてくれた。首相時代にはロスチャイルド家の第3代当主ヴィクター・ロスチャイルド男爵を自らの護衛隊員として側近に置いていた。
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