現代のユダヤ人学者による評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:23 UTC 版)
「聖絶」の記事における「現代のユダヤ人学者による評価」の解説
聖書無謬説、聖書の無誤性を否定する立場からは、神がこのような命令をしたはずがないか、あるいはイスラエルの神の命令が誤っていたと解釈される。たとえばユダヤのマルティン・ブーバーは、彼は必ずしもリベラル神学の立場に立つ神学者ではないが、ある時『サムエル記』上15章の記述について問われて、「私はそれを神のお告げであるとは信じない。私はサムエルが神の言葉を聞き間違ったのだと信じる」と答えたと晩年の自伝的な著書の中で記している。これに対して、聖書を「書物の中の書物」と捉えるレヴィナスは、ブーバーは聖書の権威よりも自分の良心の方を上に置いたとして非難する。ちなみにレヴィナスにおいては、出エジプト直後にイスラエルを最初に攻撃したアマレクは根源的な悪の象徴であり、ナチスやアウシュビッツと同等視されるため、上記のブーバーの見解に対して、「ブーバーはこの時ホロコーストについて考えていなかった」として極めて批判的な感想を表明している。なお、レヴィナスは聖書のこの箇所における聖絶について、アマレクを「地図と歴史の上から抹殺する行為」と表現している。
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