ベネディクト16世 (ローマ教皇)
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ベネディクト16世(ベネディクト16せい、ラテン語: Benedictus XVI、出生名: Joseph Aloisius Ratzinger、1927年4月16日 - 2022年12月31日)は、2005年4月19日から2013年2月28日に辞任するまで、カトリック教会最高位の教皇であり、バチカン市国の君主であった。2005年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の死去に伴う教皇コンクラーヴェで、ベネディクトが教皇に選出された。退任後は「名誉教皇」の称号で呼ばれた[1][2]。
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- ^ 「ベネディクト16世 歴史的「名誉法王」 バチカン市内で隠居 慣習化の可能性」『読売新聞』2013年3月1日東京朝刊6頁参照。
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- ^ 時事ドットコム (AFP) 2013年2月11日
- ^ Pope Benedikt XVI resigns
- 1 ベネディクト16世 (ローマ教皇)とは
- 2 ベネディクト16世 (ローマ教皇)の概要
- 3 教皇就任までの略歴
- 4 教皇就任後
- 5 辞任
- 6 帰天と葬儀
- 7 著書
- 8 脚注
ベネディクト16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 00:36 UTC 版)
「ムダヅモ無き改革」の記事における「ベネディクト16世」の解説
第265代ローマ教皇。単行本第2巻の裏表紙にある二つ名は「最強ローマ教皇」。「第四帝国」との戦いに備え、小泉ジュンイチローや各国首脳をヴァチカンに呼び出す。ラッツィンガー枢機卿時代に、先代のローマ教皇であるヨハネ・パウロ2世帰天後のコンクラーヴェに参加。対局した135名の枢機卿全員をハコ下に下して教皇として就任している。いち早く第四帝国の脅威に気づき自ら闘牌に臨むなど、聡明さとローマ・カトリック教会内に留まらぬ人類愛を併せ持つ。気迫も凄まじく、対局者を呑み込み殺すほどの力を見せた。第四帝国との戦いでは副将戦に自ら名乗りを挙げ、己の因縁に決着をつけるべくヒトラーとの死闘に挑む。強大な力を誇るヒトラーに対して、「神々の麻雀(ラグナロク)」を繰り広げる。なお、本作では神学者としてアシモ開発に許可を出した人物でもある。必殺技は大三元(サントリニテ)、字一色(ロゴス)。
※この「ベネディクト16世」の解説は、「ムダヅモ無き改革」の解説の一部です。
「ベネディクト16世」を含む「ムダヅモ無き改革」の記事については、「ムダヅモ無き改革」の概要を参照ください。
ベネディクト16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 14:16 UTC 版)
教皇ベネディクト16世は、枢機卿の頃から新しいミサについてこう語ってきた。 「第2バチカン公会議の典礼改革の各段階は、真のアジョルナメントであったかどうか、むしろそれは典礼の凡俗化でなかったかどうか、どこまで司牧的に賢明であったか、もしやその逆で、軽はずみではなかったか、じっくりと見ていきたい。今までなされてきた合理的平準化や、漠然とした論点など、カトリック典礼を村の寄り合い並に引き下げ、くだらないレベルに低下させようとする司牧的幼稚症に対して、もっと果断に反対しなければならない。既に実行されている改革も、特に定式書に関してはこの観点から見直しがなされるべきである。まさに典礼の分野において―専門家たちの研究にしろ、実際的適応にしろ―『第2バチカン公会議の真正の憲章が言っていることと、それが理解され適用されるやり方との間の差異の最も著しい一例が確かめられる。時として身震いするほど陳腐で平凡な趣向によって作られた、愚鈍で退屈な公会議後のある種の典礼。カトリック者にとって、典礼は共通の母国であり、自分のアイデンティティの源泉そのものである。このためにも典礼は、祭式を通じて神の聖性が顕現されるのだから、"あらかじめ設定され"、"何ものにも煩わされるもの" でなければならないのである。ところが、"規則に縛られた古くさい厳格さ" と呼ばれ、"創造性" を奪うと非難された典礼に対する反発は、典礼をも "手作り" の渦の中に巻き込んで、私たちの凡庸さに見合うものにし、凡俗化した」 「パウロ6世のミサ典書は、司式者が典礼の中にあれこれの要素を自由に選択する或いは導入することができるということを規定しており、それ自体で誤った創造性への扉を大きく開けてしまっている」 「教皇権力の典礼分野までの拡大のために、基本的に教皇は典礼に関して、特に教皇が公会議の決定に基づいて行為する場合は、全能であるかのような印象を与えています。この印象の結果は特に第2バチカン公会議後に目に見えています。それは典礼が与えられたものであって自分の思いのままに変えることの出来ることではないということが、西方カトリック者の意識の中から完全に消え失せてしまいました。しかし1870年第1バチカン公会議は教皇を絶対君主としてではなく、啓示された神の御言葉に従順な保護者として定義したのです。教皇の権能の正当性は、とりわけ教皇が信仰を伝えるということに縛られています。信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実さ典礼において特別な仕方で関わってきています。いかなる権威当局も典礼を「作り上げる」ことは出来ません。教皇ご自身は典礼の同質的な発展、典礼の完全性とその同一性の永続のための謙遜なしもべに過ぎないのです」 「第2バチカン公会議後に起こったことは、全く違うことだった。発展の実りとしての典礼の場所に、捏造された典礼が来た。私たちは、数世紀にわたる成長と発展のオーガニックな生きている過程を捨てさり、その代わりに、丁度制作過程で起こるかのように、作り上げられたものを、平凡でその場しのぎの産物を置いた。ガンバーは、真の預言者の警戒と真の証人の勇気とを持って、この捏造(falsification)に反対した。そして、彼の信じられないほど豊かな知識をもって、疲れを知らずに私たちに真の典礼の生きる充満性について教えてくれた」 「私たちが今日経験している教会の危機は、『あたかも神が存在していないかのような(etsi Deus non daretur)』の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております」 「多くの地域で、新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。それどころか、実際に、新しいミサ典礼書が『典礼を創造的に行うこと』を正当化し、さらには要求しているとまで考えられたからです。この『典礼を創造的に行うこと』は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました」
※この「ベネディクト16世」の解説は、「新しいミサ」の解説の一部です。
「ベネディクト16世」を含む「新しいミサ」の記事については、「新しいミサ」の概要を参照ください。
ベネディクト16世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:10 UTC 版)
「インカルチュレーション」の記事における「ベネディクト16世」の解説
ベネディクト16世(在位: 2005年 - 2013年)は前任者と同様、文化や宗教間の対話に高い関心を払った。ある観点からは彼は「インカルチュレーション」という概念から「インターカルチュアラリティ」(文化の相互作用[訳語疑問点]の意、en:Interculturality)に転向しようとするが、後に、信仰のインカルチュレーションは必要であり、「信仰の文化」の特異性および完全性は損なわれないと述べている。
※この「ベネディクト16世」の解説は、「インカルチュレーション」の解説の一部です。
「ベネディクト16世」を含む「インカルチュレーション」の記事については、「インカルチュレーション」の概要を参照ください。
「ベネディクト16世」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はローマ法王ベネディクト16世を名乗る。
- ここで,ローマ教皇ベネディクト16世が謁(えっ)見(けん)を許したり,コンサートを催したりする。
- 教皇ベネディクト16世が退位へ
- 2月11日,ローマ教皇ベネディクト16世が枢(すう)機(き)卿(きょう)会議で退位を表明した。
- 声明の中で,ベネディクト16世(85)は「高齢のため,自分の力が職務を適切に行うのに,もはやふさわしくないと確信するに至った。」と述べた。
- ベネディクト16世は2月28日午後8時に退位する。
- ベネディクト16世は2005年4月に第265代ローマ教皇となった。
- 教皇フランシスコ1世は,教皇ベネディクト16世の後を継ぎ,第266代ローマ教皇となった。
- ベネディクト16世は2月末で退位した。
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