ベネディクト15世およびピウス11世
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「インカルチュレーション」の記事における「ベネディクト15世およびピウス11世」の解説
教皇ピウス9世およびピウス10世は微妙にラテン回帰の傾向があったが、ベネディクト15世(在位1914年 - 1922年)は、特に第一次世界大戦により苦しんでいる宣教活動の拡大に関心を持っていた。インカルチュレーションとは、彼にとっては第一に、宣教地域内の聖職者の開発を意味した。1919年11月20日、彼は全世界のカトリック信徒に対し、宣教活動、なかでも脱ヨーロッパ化したカトリック宣教を志向した地域の聖職者開発を訴えた。教皇ピウス11世(在位1922年 - 1939年)は地域の聖職者の開発を促進する前例に倣い、地域の文化はよりよく理解されるようになった。彼はローマで1922年に宣教会議を招集し、毎年、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの司教を叙階した。彼の死去時には240の教区と管理区が地域の司教に委ねられていた。
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