返還へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:07 UTC 版)
オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日のカーネーション革命の後にポルトガルは民主化され、当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。しかし中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ当分の間のポルトガルによる統治を希望して交渉は停滞した。ポルトガル政府は1977年1月にポルトガル軍をマカオから完全撤退させるとともに、同年3月、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。 その後1979年に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを海外領土として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、中華人民共和国への即時移譲を望むも、中華人民共和国もまだまだ貧しいため返還は遅れ、「アジア最後のヨーロッパ植民地」と呼ばれていた。 その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印した。
※この「返還へ」の解説は、「マカオ」の解説の一部です。
「返還へ」を含む「マカオ」の記事については、「マカオ」の概要を参照ください。
- 返還へのページへのリンク