返還と再出発(東京国際空港)
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「東京国際空港」の記事における「返還と再出発(東京国際空港)」の解説
ウィキソースに東京都大田区羽田町に所在する飛行場を東京国際空港と呼称する件の航空庁告示文があります。 1952年7月1日、滑走路・誘導路・各種航空灯火等の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管され、同日に「東京国際空港」に改名した。しかし、「東京国際空港の共同使用に関する日本国と在日米軍との間の取極」により、管制権や一部施設は引き続き在日米軍の管轄下に置かれ、この時点では一部返還にとどまった。 また同月には世界初のジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットMk.Iが英国海外航空によって初飛来し、その後、ロンドンのヒースロー国際空港との間に南回りヨーロッパ線で定期就航した。 翌1953年には、日本航空のダグラス DC-6によって、日本のフラッグキャリアによる第二次世界大戦後初の国際線定期路線の就航(東京 - ウェーク島 - ホノルル - サンフランシスコ)が開始された。 国内線も日本航空のほか、富士航空などのローカル線就航により本格化した上に、連合国以外に日本の空が解放されたことや、この頃から日本の経済状況が急激に回復してきたこともあり、POAS(1950年)やKLMオランダ航空(1951年)、エールフランス航空(1952年)やエアインディア(1955年)、スイス航空(1957年)やキャセイパシフィック航空(1957年)などが就航するなど、外国航空会社の就航開始が相次ぎ、国際線の旅客も急増した。 これを受け、全面返還に先立つ1955年5月17日、現在の国際線ターミナルの西側・現B滑走路の南端付近に近代的な設備を持つ新しい旅客ターミナルが開館した。また、このターミナルビルの建設地が、強制退去となった穴守稲荷神社の本殿跡に当たることから、ターミナルビル屋上には穴守稲荷神社空港分社が祀られた。 同年8月には旧A滑走路が2550mに延伸され、1956年7月には空港整備法に基づく第一種空港に指定された。その後1958年6月に全面返還された。
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