返還と再出発とは? わかりやすく解説

返還と再出発(東京国際空港)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:43 UTC 版)

東京国際空港」の記事における「返還と再出発(東京国際空港)」の解説

ウィキソース東京都大田区羽田町所在する飛行場東京国際空港呼称する件の航空庁告示文があります1952年7月1日滑走路・誘導路各種航空灯火等の諸施設アメリカ軍から日本国政府移管され、同日に「東京国際空港」に改名した。しかし、「東京国際空港共同使用に関する日本国在日米軍との間の取極」により、管制や一施設引き続き在日米軍管轄下に置かれ、この時点では一部返還とどまった。 また同月には世界初ジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットMk.I英国海外航空によって初飛来しその後ロンドンヒースロー国際空港との間に南回りヨーロッパ線で定期就航した。 翌1953年には、日本航空ダグラス DC-6によって、日本フラッグキャリアによる第二次世界大戦後初の国際線定期路線就航東京 - ウェーク島 - ホノルル - サンフランシスコ)が開始された。 国内線日本航空のほか、富士航空などのローカル線就航により本格化した上に、連合国以外に日本の空が解放されたことや、この頃から日本の経済状況急激に回復してきたこともあり、POAS(1950年)やKLMオランダ航空1951年)、エールフランス航空1952年)やエアインディア1955年)、スイス航空1957年)やキャセイパシフィック航空1957年)などが就航するなど、外国航空会社就航開始が相次ぎ国際線旅客急増した。 これを受け、全面返還先立つ1955年5月17日現在の国際線ターミナル西側・現B滑走路南端付近に近代的な設備を持つ新し旅客ターミナル開館したまた、このターミナルビル建設地が、強制退去となった穴守稲荷神社本殿跡に当たることから、ターミナルビル屋上には穴守稲荷神社空港分社祀られた。 同年8月には旧A滑走路が2550mに延伸され、1956年7月には空港整備法に基づく第一種空港指定された。その後1958年6月全面返還された。

※この「返還と再出発(東京国際空港)」の解説は、「東京国際空港」の解説の一部です。
「返還と再出発(東京国際空港)」を含む「東京国際空港」の記事については、「東京国際空港」の概要を参照ください。

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