返還された米軍基地
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1972年以前はナイキ・ハーキュリーズやメースBなど核弾頭を装備した米軍ミサイル基地の拠点の一つであり、現在は創価学会の施設である沖縄研修道場に付属する平和記念館として一般公開されている。 1964 (昭和39)年7月15日 ナイキ・ハーキュリーズ施設 → 創価学会沖縄研修道場 1964 (昭和39)年7月15日 メースB施設 → 創価学会沖縄研修道場 1972 (昭和47)年4月18日 嘉手納第4サイト → 創価学会沖縄研修道場 1973 (昭和48)年4月23日 知花サイト → 陸上自衛隊那覇基地白川高射教育訓練場へ 1975 (昭和50)年6月30日 恩納サイト → 航空自衛隊那覇基地恩納高射教育訓練場へ 1977 (昭和52)年6月30日 VOA受信所 (恩納万座毛の受信所) 1995 (平成7)年11月30日 恩納通信所 → 跡地利用計画中 移管後の自衛隊基地 知花と恩納のミサイルサイトはどちらも自衛隊に移管されている。 自衛隊基地移管前総面積 [ha]恩納村内 [ha]備考白川分屯基地(山田) 知花サイト 15.7 3.8 沖縄市: 11.9 ha 恩納分屯基地(谷茶) 恩納サイト 26.3 24.7 金武町: 1.6 ha
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返還された米軍基地
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ハンビー飛行場の返還 キャンプ瑞慶覧の382千平方メートルが返還され、ハンビー・タウンとなる。美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジは一大観光地となる。北谷町の試算では、1991年から2002年までの12年間で、経済波及効果は1726億円。固定資産税は357万円は2億8600万円と81倍に。以前の基地雇用では100人たらずが、返還によって2000人の雇用創出となった。 メイ・モスカラー射撃訓練場の返還 土地区画整理事業を進め、商業業務施設を中心とした都市開発がすすめられ、1996年から2002年のわずか7年間で、経済波及効果は402億円に、固定資産税も192万円から1億8500万円と56倍に増えた。 その他 カシジ陸軍補助施設(1976年返還) 砂辺陸軍補助施設(1977年返還) VOA通信所(1977年返還) 砂辺倉庫(1993年返還)
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