返還への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 06:25 UTC 版)
当時の沖縄県知事である西銘順治が1988年(昭和63年)4月に訪米した際に、ゴルフ場が立地する地域がリゾート開発上必要な地域であるということから、アメリカ政府に返還を要請したことが返還へのきっかけである。 その後の1996年(平成8年)3月の日米合同委員会においてゴルフ場の機能を旧東恩納弾薬庫地区に移設することを条件に返還が合意された。予定では2003年(平成15年)に移転工事が完了する予定であったが、環境影響調査や文化財調査などにより工事が遅れ、最終的に2010年(平成22年)2月12日に移転工事が完了、ゴルフ場は同月21日をもって営業を終了した。返還は順調にいけば同年3月末に行われる予定であったが、事務手続きの遅れにより7月末までずれ込んだ。
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