沖縄県知事一覧
(沖縄県知事 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 16:33 UTC 版)
沖縄県知事一覧(おきなわけんちじいちらん)は、1879年(明治12年)3月の廃藩置県によって設置された沖縄県の歴代の県令、官選知事、米軍施政権下の政府首長を経て、現在に至る知事の一覧である。尚、米軍施政権下初期の宮古列島、八重山列島の知事については、民政府・群島政府知事等一覧を参照のこと。
注釈
出典
- ^ 「歴代沖縄県知事・群島知事・行政主席等一覧」、『沖縄大百科事典 別巻』(1983年)、p.11
- ^ 「歴代沖縄県知事・群島知事・行政主席等一覧」、『沖縄大百科事典 別巻』(1983年)、pp.11 - 12
- ^ a b c d e 「歴代沖縄県知事・群島知事・行政主席等一覧」、『沖縄大百科事典 別巻』(1983年)、p.12
- ^ a b 「島田叡」、『新編日本の歴代知事』(1991年)、p.1133
- ^ 「屋良朝苗」、『新編日本の歴代知事』(1991年)、p.1135
- ^ “歴代公選知事名簿 沖縄県”. 全国知事会. 2018年8月17日閲覧。
- ^ 野島武盛氏が死去 平良県政の副知事 97歳 - 『琉球新報』、2022年7月10日閲覧。
- ^ Post-Reversion Okinawa and U.S.-Japan Relations 21ページ
- ^ “翁長知事、7日から意識混濁 副知事が職務を代理 「復帰目指し、懸命に頑張っている」”. 沖縄タイムス. (2018年8月8日) 2018年8月9日閲覧。
- ^ “公文書における知事の名前の表示について” (プレスリリース), 沖縄県, (2018年10月11日) 2018年10月20日閲覧。
- 1 沖縄県知事一覧とは
- 2 沖縄県知事一覧の概要
- 3 本土復帰後における公選知事
- 4 外部リンク
沖縄県知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 04:35 UTC 版)
2006年の沖縄県知事選挙に、自民・公明の推薦を受け出馬し、野党8党の推薦・支持を受けた糸数慶子を破り初当選した。各党の折衝に時間を取られた糸数の機先を制し、さらに糸数を推薦した自由連合代表の徳田毅が離党して仲井眞支援に回るなど、野党の切り崩しに成功したといえた。糸数陣営は普天間基地県内移設反対など在日米軍基地問題を強く主張したが、厳しい経済情勢の中で、行政や財界での経験から経済振興を争点とし、稲嶺県政の継承発展を主張した仲井眞に支持が集まったとされた。 仲井眞は県内保守派に基盤を置くが、沖縄特有の問題(在日米軍基地問題や歴史問題など)については前任者の稲嶺惠一同様、政府とは一線を画して地元の立場を強く主張し、譲れないものは譲れないという姿勢を見せている。『産經新聞』や『日本経済新聞』が選挙後の社説で、仲井眞の当選を喜ぶとともに仲井眞に在日米軍基地問題で政府に従うよう釘を刺したが、仲井眞は辺野古基地問題に関して、「(掃海母艦を出すのは)銃剣を突きつけているような連想をさせ、強烈な誤解を生む。防衛省のやり方はデリカシーに欠ける」と発言し、政府の強硬策を牽制した。 保守系言論人の恵隆之介は、朝鮮通信使よりも古い1300年代からの家系久米三十六姓であることを理由に沖縄で「稲嶺惠一知事、仲井眞弘多知事と二代にわたって中国帰化人子孫が知事を務めている」「こうした中国帰化人の子孫たちが中心となって、沖縄の親中政策が推進されている」「中国による沖縄のクリミア化」だとした。ネットで仲井眞知事は日本国籍を持った「中国のスパイ」だと多く拡散されるようになる。このような反応に対して佐藤優は久米士族は実際には台湾に近いなどの例を挙げて反論している。 2007年6月23日、県知事として「沖縄全戦没者追悼式」に出席したが、翌24日、軽い脳梗塞で緊急入院した。入院及び自宅静養で2週間程度公務を休む必要があると診断されたが、既に追悼式の段階で体調の不良を訴えていたといわれ、追悼式には医師の立会いのもとで出席した。同年7月9日に公務復帰。 2007年9月には、文部科学省が公立高校の歴史教科書から旧日本軍の集団自決強制の記述を削除した問題で起きた県民の抗議集会に参加し、政府の対応を「遺憾である」と表明。2008年2月11日に沖縄駐留アメリカ軍兵士が中学3年の少女に対する暴行・強姦容疑で逮捕された件で、記者団に対して前持って用意されたメモに沿う形で一連の事件に「強い怒り」を表明したが、普天間飛行場の機能をキャンプ・シュワブ沿岸部へ移設する計画には全く影響しないと語った。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では自民党公認の島尻安伊子陣営で選対本部長を務めた。 2010年11月、自民党沖縄県連からの支援 及び推薦 と公明党・みんなの党の推薦を受け、日米合意の見直しと基地の県外移設を公約として沖縄県知事選挙に出馬、335,708票(得票率52.0%) を獲得し、共産党・社民党・国民新党・新党日本・沖縄社会大衆党推薦の新人で前宜野湾市長の伊波洋一、幸福実現党の新人候補者を破り再選された。しかし、県外への移設論に傾いた米軍普天間基地移設問題は、選挙戦の最中に朝鮮半島で武力衝突があったこともあり、実現できるかどうか流動的な情勢となっている。 2012年7月、尖閣諸島問題が燻り続ける中で中華人民共和国の北京に沖縄県北京事務所を開所し、中国外交部部長の楊潔篪から高く評価された。 2012年10月1日、基地の過重負担となる普天間飛行場にオスプレイ (CV-22) の最初の配備が始まる。配備計画は長らく隠蔽され、計画が公表されてからわずか9カ月で強行配備された。 2013年1月10日、腹痛を訴え、診断の結果急性胆嚢炎と診断され入院。翌11日に胆石を取り除く手術を受けた のち、同月20日に退院し静養。静養中の2月2日には安倍晋三(第2次安倍内閣)との会談を行った。正式な公務復帰は同月4日となった。1月28日、沖縄県内の41市町村と県議会の代表が、米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念、同飛行場へのオスプレイ配備撤回を求めた「建白書」を政府に提出したが、仲井眞知事の署名はなかった。 2013年9月25日、普天間飛行場の12機に、さらに12機が追加され、24機となった。
※この「沖縄県知事」の解説は、「仲井眞弘多」の解説の一部です。
「沖縄県知事」を含む「仲井眞弘多」の記事については、「仲井眞弘多」の概要を参照ください。
「沖縄県知事」の例文・使い方・用例・文例
- 沖縄県知事のページへのリンク