沖縄県知事選挙
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詳細は「2018年沖縄県知事選挙」を参照 翁長が死去した8月8日の夜、謝花は浦添総合病院で記者会見を開き、翁長が生前に後継を指名していたかという記者からの質問に対し、これを否定した。知事選挙は9月30日投開票と決まり、8月17日に行われた県政与党の調整会議では、謝花も候補者の一人として名が挙がった。しかし18日になって翁長が生前、金秀グループの呉屋守将会長、玉城デニー衆議院議員の二人の名前を事実上の後継者として挙げる音声データが存在していたことが明らかとなる。与党で唯一、音声の確認を行った県議会の新里米吉議長は遺族の意向を汲み音声の公開を拒んだため、音声に疑義があるとして県議会与党の会派おきなわ内部からも批判が起こった が、25日になって謝花が親族関係者とともに音声の録音に立ち会っていたことが判明したほか、明確に後継という言葉は出ず、あくまで二人に期待しているという印象を受けたと証言した。 翁長が実施意向を示していた辺野古の水面埋め立て承認撤回の権限は8月17日付で謝花に委任された。翁長は生前、承認撤回について、自分にもしものことがあれば頼むと謝花に委託していたことが後に本人より明かされている。8月31日に沖縄県は埋め立て承認の撤回を行い、謝花は富川と共に記者会見し経緯などを説明した。 2018年9月30日の知事選挙では玉城デニーが当選し、10月1日に玉城は謝花を副知事として続投させると発表した。 2022年3月、沖縄県副知事を退任、
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沖縄県知事選挙
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2018年8月17日、故翁長雄志知事が生前に玉城と金秀グループ会長の呉屋守將を後継指名していたことが判明。8月18日までに呉屋が立候補を固辞すると、8月19日、翁長を支えてきた県政与党や団体でつくる「調整会議」は玉城の擁立を目指す方針を固めた。8月28日、玉城は立憲民主党の枝野幸男代表、国民民主党の大塚耕平共同代表、日本共産党の志位和夫委員長、社民党の又市征治党首、無所属の会の岡田克也代表らと会談。野党5党派は支援を確約し、8月29日、玉城は翁長の死去に伴う知事選挙への出馬を正式に表明した。 基地問題については「故・翁長知事の遺志を受け継ぎ、辺野古に新たな基地は造らせない。普天間飛行場の閉鎖・返還を一日も早く実現するよう政府に強く要求する」とした。また、子どもの貧困対策を最重要政策に掲げ、「保育料の無料化」、「子ども医療費無料化の拡大」、「待機児童ゼロ」、「子育て世代包括支援センターの全市町村への設置」などを掲げた。経済振興では、「アジア全体を市場とする臨空・臨港型産業の集積」、「国際医療拠点形成に向けた健康医療分野やバイオ産業の育成」、「外国人観光客の誘致を促進する情報通信環境の整備やクルーズ船の寄港、拠点化、母港化整備」、「縦貫鉄軌道の導入」などを打ち出し、他にも複数の政策を掲げた(政策・主張の欄を参照)。 同年9月13日、沖縄県知事選の公示に伴い立候補を届出、同時に衆議院議員を辞職(失職)した。9月30日執行の選挙の結果、次点の佐喜眞淳に約8万票の差をつけて当選した。10月4日の沖縄県選挙管理委員会による告示の日から当選の効力が生じ、沖縄県知事に就任した。 「2018年沖縄県知事選挙」も参照 2019年7月10日、セブン-イレブン・ジャパンの古屋一樹取締役会長が沖縄県庁を訪れ、沖縄県で初となるセブン-イレブンの店舗の開設を、11日に行うことを報告し、これに対し「県民はオープンを楽しみにしている」と答えた。 同年7月28日、新潟県湯沢町の苗場スキー場で開かれた「フジロックフェスティバル」に出演。フェスティバルの関連イベント「アトミック・カフェ」でギターを演奏しながら、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい」とボブ・ディランの「見張塔からずっと」の2曲を披露した。また、ジャーナリストの津田大介、ORANGE RANGEのYOH、一橋大学大学院生の元山仁士郎とのトーク企画に参加し、日米地位協定などについて語った。 2022年6月11日、任期満了に伴う沖縄知事選に、再び立候補することを表明した。
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