沖縄県民集会の参加者数の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 04:40 UTC 版)
「沖縄戦における集団自決」の記事における「沖縄県民集会の参加者数の問題」の解説
集会に11万6千人(八重山の会場の3,500人、宮古の会場の2,500人を含む)が集まったとする主催者側発表が琉球新報(見出し11万6000人)、沖縄タイムス(同11万人)、読売新聞(同11万人)、朝日新聞(同11万人)等で大々的に報道された。これに対して、世界日報が「参加者は4万2千人である」と報道した 。この頃、産経新聞と朝日新聞との間で第1次安倍内閣評価の議論が紙上での言い合いのようになって脱線し、朝日が沖縄のこの集会を主催者発表として11万人と報道したことについて、産経は主催者発表であれば実際はもっと少ない筈でそのまま報じるのは戦前の大本営発表にもあい通じるとして朝日を批判、9月3日の産経抄で“関係者から聞いた数字”として4万3千人と載せた。対して、産経自身がその前日2日の同じ産経抄の欄で同様に主催者発表として11万人と報じていることを朝日は指摘した。産経側は「スペース的に不可能ではないか」として、会場の多目的広場は2万5千平米で東京ドームの建物面積と定員からして、(椅子席もあるイベント用の建物の様々な法令規制もかかった上での定員と野外広場の収容可能人員とを比べるのも、おかしな話であるが)せいぜい定員は5万5千人の筈と主張した。(ただし、会場である多目的広場の周囲にも複数の広場があり、また、会場は駐車場から距離があり、途中の道筋にも入りきれなかった人があふれていたとの報道もある。)日本経済新聞では「県警調べ約4万2千人」と載せた。西日本新聞は政府関係筋の数字として4万人程度であると指摘した上で、主催者発表の参加者数は虚偽であると主張して問題視する意見が出てきており、特に本土では、そういった人間に対しての嫌悪感が広がっており、抗議メールが殺到していると報じた。結局、産経は調査のために沖縄に記者を派遣する事態となったが、沖縄県警は参加者人数の公表は必要ないとの立場であった。産経新聞はこれを主催者から過去に抗議を受けた背景があるからとし、沖縄県警関係者からの情報との主張のもとに参加者4万2千〜3千人と報じた。 週刊新潮は、惠隆之介の「反対集会が開催された会場の最大収容人数は5万人で11万人を収容するには肩車の上に肩車をしなければ不可能な事、当日の会場には日傘を差したり、敷物の上に座っている人がいるなど、相当な空きスペースがあった事から参加者は最大で3万5千人程度だ」との意見を掲載した。(ただし、琉球新報の航空写真を見るとかなりの密集状態で、日傘を差したり、座っているといった言葉から我々が通常イメージするような相離れた状態ではない。また、周囲にも人があふれていた可能性の他、当日はあまりの混みように後ろの人が見えにくいので座るように指示されて座ったが足も伸ばせないほどであったとの参加者の証言もある。)一方で、週刊新潮は主催者発表の11万人のみを報道することについて他社を批判した産経新聞の報道について「例えば北朝鮮による拉致集会の参加者だったら産経は主催者発表を参加者数として報じるでしょう」との田島泰彦のコメントも掲載した。また、同号では沖縄県警が参加者人数は公開しないと言明していることや、屋山太郎の数は問題ではないとの主張も掲載している。 沖縄基地の建設・物資輸送の警備を扱っている警備会社テイケイは、彼らが入手した航空写真を細かくブロック分けして1人ずつカウント集計した結果として視認可能の合計が1万8千人程度であり、建物、木陰、写真外などを推定で加えても総数1.9万~2万人と算出したと発表、各政党や各新聞社、出版社に送付した。産経新聞はこれを専門家によるものと考え「参加者数につき警察は4万人強、専門家は2万人弱とするのに、主催者は11万人を訂正しようとしない」との批判記事を掲載した。秦郁彦はこれを踏まえ、さらに熊本で似たような手法で3日かけてほぼ同じ数字を出した人がいると聞くと寄稿した。日本会議熊本や「つくる会」は、それらを根拠に主催者発表の参加者数を誇大発表と断じ「政治的キャンペーンをするな」等の批判を行った。反対派からは、それでは産経新聞自体は3つの説のうち、結局どれを正しいと考えているのか、間違っていると考えている残り2つの説には共にどちらも訂正しろと主張しているのか、自身がついこの間、言ったことを忘れて自身がそれを守っていないと非難されたにもかかわらず、またしても同じ失敗を繰り返しているとの批判がなされた。週刊新潮はテイケイの数字を同社の役員が従業員4人に1日がかりでカウントさせたものとして紹介、『本当は<1万8179人>だった11万沖縄県民大会』との記事を掲載(なお、この記事に載った写真を見ると、琉球新報等に載った写真とは別物のようである)、また、沖縄タイムスが「22万の瞳に答えよ」との記事を載せることで人数を11万からさらに倍加したと非難した。(なお、その後の2010年4月の沖縄読谷村での普天間基地反対集会について、参加者は主催者発表で9万人とされているが、週刊新潮は、なぜか先の2007年の集計の件については何ら触れることなく"テイケイの会長が以前から主催者発表数に疑問を抱いていたから"とした上で、テイケイが入手した航空写真を元に集計した結果として、視認可能数の合計につき11,569人という数字を発表した。ただし、その記事では従業員4人を使って3~4日かかったとされており、これでは11,569人÷4人÷3日÷8時間÷60分=2人と、1分当たり僅か2人しか数えていないことになる。そのため、反対派からは、"要するに、複数の航空写真の中から、会社のお偉いさんの承認の貰えそうな数字が出る写真が見つかるまで、従業員が何枚も数え直しているということだろう"との声があがった。) また、産経新聞によると全日本学生文化会議の学生達が2007年の沖縄県民集会について那覇市県庁前や琉球大で沖縄県民723人を対象にアンケートを行った結果、「参加した」が11.2%だったと報じ(当時の沖縄県の人口は全体で137万人であったと見られるが、那覇市と会場のあった宜野湾市はともに沖縄南部の都市であるために沖縄全体の平均よりは高めに出た可能性はある。)、高校のサッカーやバスケットボールなどの部活動単位で集会に動員されたという生徒も多数いるというその調査結果を掲載した。 こうした批判もある中、当時の福田康夫総理大臣は国会で参加者は11万人であると主要マスコミとほぼ同じ答弁をし、教科書に軍の関与があったとする記述が復活する流れとなった。
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