沖縄民政府とは? わかりやすく解説

沖縄民政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 10:00 UTC 版)

沖縄民政府(おきなわ みんせいふ、Okinawa Civilian Administration)は、アメリカ軍政下の沖縄諸島における行政機構。1946年4月24日に設立された[1]


  1. ^ 『角川日本地名大事典 47 沖縄県』(1986年7月8日、角川書店発行)1065頁。
  2. ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房東洋企画、p. 329
  3. ^ 中野好夫新崎盛暉『沖縄戦後史』岩波書店、p. 19
  4. ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房東洋企画、p. 332
  5. ^ 中野好夫・新崎盛暉『沖縄戦後史』岩波書店、p. 23


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沖縄民政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:25 UTC 版)

新里通信所」の記事における「沖縄民政府」の解説

1946年10月軍政府具志川村栄野比(現うるま市栄野比)から玉城村親慶原(現南城市)の知念補給地区移転した。それに付随し4月24日石川市東恩納発足したばかりの沖縄民政府も親慶原高台にある新里通信所移転した1949年7月23日グロリア台風全壊しこれを機に沖縄民政府は米国軍政府グリーン副長官那覇への移転再三にわたり折衝翌年3月までの期限として、完成したばかりの旧上山国民学校校舎移転許可とりつけた。沖縄民政府がまず那覇市久米の旧上山国民学校(元那覇尋常小学校)に移転し、またすぐに隣接する旧天妃国民学校移転それに伴い米軍政府12月那覇市久米の旧上山国民学校移転し軍政府長官シーツ少将那覇市沖縄首都となることを発表した1950年12月15日軍政府の名前が廃止され米国民政府となり、長期的統治段階にむかう。

※この「沖縄民政府」の解説は、「新里通信所」の解説の一部です。
「沖縄民政府」を含む「新里通信所」の記事については、「新里通信所」の概要を参照ください。

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