類話 [編集]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/19 06:16 UTC 版)
享保時代の怪談集『太平百物語』に「女の執心永く恨みを報いし事」と題し、同様に無念の死を遂げた者の怨霊が家を祟る話があり、民俗学者・池田彌三郎の著書において類話として紹介されている。 ある富豪の家で、主人が召使の女に罪をかぶせて殺した。女は死の間際、この家が続く限り怨みを晴らすと言い放った。 まず、家の主人が女の霊の取り憑かれて死んだ。その息子は、災いを逃れようと仏神に祈ったが、それでも霊が憑いた。彼は死の間際に、息子の小佐衛門に「自分は祟り死ぬが、お前は災いを逃れるため、より仏神を信じ、貧しい者に慈悲を与えよ」と言い残して死んだ。 小佐衛門は父の教えを守って暮していたが、父の一周忌が済んだ頃、家中の床や壁が血だらけとなった。小佐衛門は家来に拭き取るよう命じたが、家来には血など見えない。小佐衛門が「こんなに大量の血が見えないのか」と怒るので、家来たちはあの女の祟りだと恐れた。 やがて家の食器も血だらけとなったため、小佐衛門は食事もろくにとれずに痩せ衰え、1年ほどで命を落とした。子供がいなかったため、家は断絶した。女の執念によってこの家は根絶やしにされたということである。
※この「類話 [編集]」の解説は、「たたりもっけ」の解説の一部です。
「類話 [編集]」を含む「たたりもっけ」の記事については、「たたりもっけ」の概要を参照ください。
類話 [編集]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/12 08:22 UTC 版)
昭和初期の民俗学者・南方熊楠は自著『十二支考』において、牛蒡種を邪視に類するものと述べている。
※この「類話 [編集]」の解説は、「牛蒡種」の解説の一部です。
「類話 [編集]」を含む「牛蒡種」の記事については、「牛蒡種」の概要を参照ください。
類話 [編集]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/18 18:37 UTC 版)
ふらり火の類話として、富山県富山市磯部町の神通川流域の磯部堤で明治初期まで現れていた「ぶらり火」の伝説がある。 天正年間。富山城主の佐々成政に早百合という妾がいた。早百合は大変美しく、成政から寵愛をうけていたため、奥女中たちから疎まれていた。あるとき、奥女中たちは早百合が成政以外の男と密通していると讒言した。成政はこれを真に受け、愛憎のあまり早百合を殺し、磯部堤で木に吊り下げてバラバラに切り裂いた。さらには早百合の一族までも同罪として処刑されることになった。無実の罪で殺されることになった一族計18人は、成政を呪いつつ死んでいった。 以来、毎晩のようにこの地には「ぶらり火」または「早百合火」と呼ばれる怪火が現れ、「早百合、早百合」と声をかけると、女の生首が髪を振り乱しながら怨めしそうに現れたという。また佐々氏は後に豊臣秀吉に敗れるが、これも早百合の怨霊の仕業と伝えられている。
※この「類話 [編集]」の解説は、「ふらり火」の解説の一部です。
「類話 [編集]」を含む「ふらり火」の記事については、「ふらり火」の概要を参照ください。
- 類話 [編集]のページへのリンク