堀麦水とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 文芸 > 作者 > 堀麦水の意味・解説 

ほり‐ばくすい【堀麦水】

読み方:ほりばくすい

1718〜1783]江戸中期俳人加賀金沢の人。名は、堀長。俳諧中興運動において、貞享(じょうきょう)蕉風唱導した。編著に「新みなし」「慶安太平記」など。


堀麦水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/28 09:32 UTC 版)

堀 麦水(ほり ばくすい、1718年享保3年)[1]1783年11月8日天明3年10月14日[1])は、江戸時代中期の俳人である[2][3]。名は長[1][2][4]、字は子傾[1][2]。通称は初め池田屋平三郎[1][3][5]、後に長左衛門[1][3][5]。初号は可遊もしくは葭由[1][3][5]、別号に樗庵[3][5]、四楽庵等がある[1][5]

経歴・人物

加賀(現在の石川県金沢の蔵宿池田屋の次男として生まれる[1][2][3]。若い頃は上方にいたが、甥の後見のため、元文末頃に金沢に戻った[1]

俳諧は美濃派の百雀斎五々に師事し、のちに伊勢中川乙由(麦浪)の俳風に移り、麦水と号した[1]。延享元年(1744年)頃から全国を行脚している[1]宝暦12年 - 宝暦13年(1762年 - 1763年)頃に京都に上り、与謝蕪村と交流する[1]

明和6年(1770年)頃に『二十五ヶ條註解』を著し[1]宝井其角が編纂した『虚栗』に傾倒した松尾芭蕉の作風の俳諧を詠み[1][3][6]、その復興運動にも携わる[3][7]。この運動の中で、各務支考や乙由の俳風の卑俗性を批判し[1]、『虚栗』の漢詩文調に倣うべきと主張した[1]。しかし、安永4年(1775年)に『新みなし栗』を著した後、俳諧活動から離れた[1]

俳人としての著作だけでなく、実録本『越の白波』『三州奇談』『寛永南島変』も残している[1][8]。また、麦水は将棋や茶道、骨董、書画等の多くの趣味を持っていたとされている[9]

主な著作物

主著

  • 昔日北花録
  • 『慶安太平記』
  • 『貞享正風句解伝書』
  • 『新虚栗』

その他の著書

  • 『慶長中外伝』
  • 『俳諧蒙求』
  • 『寛永南島変』

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 加藤楸邨大谷篤蔵井本農一監修、尾形仂ら編集『俳文学大辞典』角川書店、2008年1月、734-735頁。ISBN 9784046219619 
  2. ^ a b c d 堀麦水”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 堀麦水”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2023年8月9日閲覧。
  4. ^ 堀麦水”. デジタル大辞泉(講談社). 2023年8月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e 麦水”. 世界大百科事典 第2版(平凡社). 2023年8月9日閲覧。
  6. ^ 堀麦水”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン). 2023年8月9日閲覧。
  7. ^ 堀麦水”. 精選版 日本国語大辞典. 2023年8月9日閲覧。
  8. ^ 菊池庸介『近世実録の研究』汲古書院、2008年2月、233-251頁。 
  9. ^ 麦水”. 日本大百科全書(小学館). 2023年8月9日閲覧。

外部リンク




堀麦水と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堀麦水」の関連用語

堀麦水のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堀麦水のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堀麦水 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS