うつほ舟
『朝顔の露の宮』(御伽草子) 継母浮草の前は、朝顔の上と露の宮との逢瀬を知り、怒って朝顔の上を吉野山へ棄てる。2人の恋人は再会できぬまま死ぬ。事情を知った帝は「ひとえに浮草の前の仕業」と言い、彼女をうつほ舟にのせて流す。
『小栗(をぐり)』(説経) 郡代横山は、娘照手と小栗判官との結婚を喜ばず、小栗を毒殺した上に、照手をも相模川に沈めよと鬼王鬼次兄弟に命ずる。兄弟は彼女を殺すにしのびず、照手を牢輿に入れたまま海へ流す→〔人買い〕1。
『国性爺合戦』2段目 肥前松浦平戸の浜で、和藤内・小むつ夫婦がすなどりをしているところへ、1人の女を乗せた小舟が漂着する。女は大明国思宗皇帝の妹栴檀皇女で、戦乱の明から逃れ来たのだった。
『神道集』巻4-18「諏訪大明神の五月会の事」 波斯匿王の娘・金剛女は、前世で善光王の后だった時、3百人の女たちを嫉妬し、女たちを多くの大蛇とともにうつほ舟に入れて流し、責め殺した〔*その報いで、金剛女は17歳の時、鬼の姿になった〕。
*醜女がうつほ舟で流され、後に弘法大師を産む→〔醜女〕2aの『かるかや』(説経)「高野の巻」。
*うつほ舟の女が死に、蚕になる→〔死体〕1aの『戒言(蚕飼の草子)』(御伽草子)。
『カンタベリー物語』(チョーサー)「法律家の話」 ローマの王女クスタンスは、請われてサルタンのもとに嫁すやいなや、姑に憎まれ、舵のない小舟に乗せられて海へ流される。3年以上を経て舟はイギリスに漂着し、彼女は国王のアラと結婚する。ところがアラの母の陰謀で、クスタンスは鬼子を産んだことにされ、嬰児とともにふたたび小舟に乗せられ海に放たれる。
『三国史記』巻12「新羅本紀」第12・第56代敬順王9年 昔、中国の皇帝の娘が夫なくして孕んだので、人々が疑い恐れて海に流した。彼女は辰韓にたどりついて子を生んだ。その子が海東(朝鮮)の始祖王となった。
『八幡愚童訓』下 震旦国陳の大王の娘大比留女は7歳で懐妊する。父王が問うと、「仮寝していた時、朝日の光が胸にさしてはらんだ」と答える。大比留女は、生まれた皇子とともに空船に乗せられ、海に放たれる。船は日本の大隅国に流れ着く。
*→〔箱船(方舟)〕3の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章。
『鵺(ぬえ)』(能) 源頼政に退治された鵺(*→〔矢〕2の『十訓抄』)は、うつほ舟に入れられ流された。その亡魂は舟人姿になって、旅僧に身の上を語り、供養を請うた。
『八幡愚童訓』上 道鏡は和気清丸(清麻呂)を「ワカレノキタナ丸」と名づけ、両足を切ってうつほ舟に乗せ、海に流した〔*舟は豊前国宇佐宮の浜に流れ着き、宇佐八幡の霊験によって、和気清丸の足はもとどおりになった〕。
『椿説弓張月』後篇巻之2第19回 鎮西八郎為朝が八丈島の西の小島にいた時、赤い幣を立てた米俵の蓋に、身の丈1尺4~5寸の翁が乗り、海上を漂って来た。翁は疱瘡の神で、京大阪で疱瘡をはやらせたために浪速の浦へ追いやられ、大洋を漂流していたのだった。翁が「けっしてこの島には上陸しません」と誓ったので、為朝は翁を船に乗せ、伊豆の国府へ送った。それで今も、八丈島には疱瘡はない。
*痘瘡(疱瘡)の神が日本へ渡来する→〔病気〕1bの『和漢三才図会』巻第10・人倫の用。
『風姿花伝』(世阿弥)第4「神儀に云はく」 秦(はだ)の河勝は、欽明・敏達・用明・崇峻・推古の5代の天皇と上宮太子(=聖徳太子)に仕え、猿楽の芸を子孫に伝えた後、うつほ舟に乗り、難波の浦から風にまかせて西海へ去った〔*舟は播磨国坂越(しゃくし)の浦に漂着した。この時、河勝の姿は通常の人間とは異なっており、いろいろな奇瑞があったので、土地の人は彼を神と崇めて祀った〕。
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