軍事独裁国家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 15:48 UTC 版)
ケネディ政権期の1961年から2003年にかけて、合衆国はアルゼンチン、キューバ、ドミニカ共和国、エクアドル、グアテマラ、ホンジュラス、ペルーなど、独裁制を敷いていた複数の国との経済、ないしは外交関係を凍結。しかしこの凍結は3週間から半年間と、ほんの一時的なものに留まっている。とりわけケネディによる対軍部支援は、当時勢力を増しつつあった左派を抑え込むために提供されたため、米国と繋がりの強い偏執狂的軍人が生まれ、ケネディ政権時代には6の民主主義政権が軍によって倒された。 進歩のための同盟は失敗であったとの認識から、ニクソン大統領は就任直後の1969年2月17日、ラテンアメリカの状況を研究するため委員会を設置。ニクソンは最も強力なライバルであるネルソン・ロックフェラーニューヨーク州知事を座長に任命することとなる。両者の確執はニクソンが研究結果に興味を持っていないということを示唆するものであり、事実1960年代末から1970年代初頭にかけては、当該地域に対する興味が乏しいものであった。 ロックフェラーとその助言者は1969年初、ラテンアメリカへ4度赴いている。滞在のほとんどは好ましからざるものであったようで、ロックフェラーは報告書の跋文において次のように述べている。 全般的に、生活水準のより急速な改善を達成し損ねたことに対する不満が根強い。進歩のための同盟は期待が高かっただけに、合衆国が非難を浴びている。当該諸国の人々は、我々の訪問を自国の政府が要望を満たせなかったことに対する不満を表明する機会と捉え、(中略)不満に対するデモンストレーションが合衆国の弱体化を模索する反米、反政府勢力により行われ、拡大の一途を辿っている。またその過程で自国の政府に対しても行われているのは言うまでも無い。 ロックフェラー報告の大部分は合衆国が関与しなくなったことに充てられており、「合衆国にいる我々は、他国の内政に影響を与えることは出来ない」としている。合衆国は他国の政治風土を変えなかった以上、政治的手段として経済支援を利用しようとする理由が無かったというのである。これはラテンアメリカへの経済支援を削減するための方便に他ならず、ロックフェラー報告は支援を幾許かでも続行するよう求めた一方で、より効果的な支援計画を策定することを薦めた。
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