軍事独裁の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 09:21 UTC 版)
国王コンスタンティノス2世による逆クーデターが失敗に終わると、クーデターの首謀者たちは文民政府を装っていた仮面を捨て去り、コリアス政権の国防次官だったゲオルギオス・ゾイタキス中将を長とする摂政団を組織、パパドプロス大佐自らが首相に就任し同時に外務・国防・教育大臣を兼務、政策関連のポストを牛耳り摂政団にも影響力を及ぼした。そして1968年9月19日により独裁的な新憲法へ改正し11月15日に形式的な国民投票を通過させた。しかしパパドプロス政権への国民の支持は低く、幾つかの反政府活動や暗殺の企てもあったものの、パパドプロスが国内外の投資家らに気前良く応じ経済成長が続いたため、これらの活動も組織化されることはなかった。そして軍事治安警察(ESA)が活動を行い、反政府活動で捕らえられた者らには厳しい処遇が待っていた。 非民主的行動を取るパパドプロスらに対して海外でも非難は起こりはしたが、具体的行動に出ることは無く、また、国民らはこのクーデターを後ろで操ったのがアメリカであると堅く信じていた。そして、アメリカのニクソン政権は自らに従順な政府と見做し、1968年1月にこれを正式に承認、政府へのあらゆる部分での支援を行い、イスラエル防衛の要として武器援助も行った。
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