軍事独裁復活の画策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:31 UTC 版)
しかし、スペイン内戦下で人民戦線政府と戦ったメンバーが主要な位置を占める軍部の、民主主義体制の移行に伴う地位の低下や、人民戦線政府の中枢を占めた共産党の合法化(1977年4月の共産党の合法化を受けて、陸海両軍の大臣が抗議の意思を表明し辞任していた)、さらにバスク地方の独立を主張するバスク祖国と自由(ETA)によるテロ活動の活発化や、失業率が20%を超えるなどの経済の不調などを受けて、国王を擁した上での軍事独裁の復活を求める陸軍内の右派勢力による動きが活発化した。 この様な動きを受けて1977年11月には、「軍部右派」と目されたハイメ・ミランス・デル・ボッシュ陸軍中将(第三軍管区長官)やガブリエル・ピタ・デ・ベイガ海軍中将(前海軍大臣)がハティバに集まり、軍事クーデターを起こしスアレス政権を排除し、その後に「救国内閣」を設立して議会の権限を縮小し、国王を擁した上での軍事独裁の復活を行うことを画策していた。
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