軍事産業への参入とは? わかりやすく解説

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軍事産業への参入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 10:06 UTC 版)

クルップ」の記事における「軍事産業への参入」の解説

フランスでは1830年には7月革命1848年2月革命がおこり、そのたびヨーロッパで革命の嵐が吹き荒れたが、アルフレート・クルップ商売のことしか考えていなかった。そして、彼の発想戦争繁盛するなら大いに結構、というクルップ家伝統へとつながってゆくのである次第アルフレート武器生産に目をつけてゆく。1843年には鋼鉄製の銃、1847年には大砲プロイセン陸軍当局送って売込みをかけるが、にべもなかった。それならばアルフレートプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世大砲献上する。この大砲王宮大理石広間置かれ大いPRとなった1851年ロンドン第1回万国博覧会に6ポンド大砲出品した。あえて万博戦争道具出品したアルフレートは、見事金賞勝ち取ったヴィルヘルム1世は、アルフレート先王大砲献上したことからクルップ300門もの大砲発注したまた、かの鉄血演説行ったオットー・フォン・ビスマルク宰相となり、アルフレートの元を訪れた2人意気投合しドイツ近代化強力に推し進めた新製鋼法を導入し事業順調に伸ばすアルフレートは、プロイセンだけではなく軍備強化に励む各国から手広く受注していた。その一方でプロイセン国内鉄鋼業者から競争入札大砲発注元を決めようとしたときは「一門でもクルップ以外の鉄鋼業者が注文取ったら、直ち全世界に対して、彼らの欲する大砲売り渡すであろう」と脅迫めいた内容の手紙を出している。 そんなアルフレートに対していつしか人々は皮肉をこめて「大砲王」と呼ぶようになった。もっとも、本人はその称号をいたく気に入っていたようである。クルップ兵器だけでなく、鉄道用品の製造に力を注いだ。特にクルップ作る継ぎ目なしの車輪は、丈夫でしかも摩擦少なということから年々受注増えた。こうして建設され鉄道、そして大砲普仏戦争プロイセン王国勝利導いたのである1867年アルフレートナポレオン3世主催するパリ万国博覧会には化け物のような大きさ巨砲出品した当時オランダに留学中榎本武揚赤松則良らはアルフレート・クルップ訪れ社長会見している。同時に当時建造中の軍艦開陽丸搭載する大砲注文し最終的に18門が搭載された。日本でもクルップ火砲元に多数火砲製造され日露戦争時には多数クルップ式火砲装備していた。日本語名として「克式」と呼ばれた中国にもクルップ火砲供与されギネスブックにも載る里山砲台中国語版)は日中戦争の際に日本の軍艦砲撃した伝えられている。築地横浜外国人居留地にあったドイツ系貿易商館のアーレンス商会代理店となった1903年にフリードリヒ・クルップ社(ドイツ語版)(ドイツ語: Friedrich Krupp AG)を設立クルップ社1900年に約45000人の労働者抱え社宅提供するなどの福利厚生行っていた。

※この「軍事産業への参入」の解説は、「クルップ」の解説の一部です。
「軍事産業への参入」を含む「クルップ」の記事については、「クルップ」の概要を参照ください。

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