軍事産業三ヵ年計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 17:20 UTC 版)
中独合作で最も重要なのは、1936年からの軍事産業三ヵ年計画である。それは中国政府の国家資源委員会(en) とハプロ・ドイツ軍によって推進された。この計画の目的は、短期的には日本に対抗できるだけの工業国となることであり、長期的には将来の中国産業を振興させることであった。この計画は、タングステンとアンチモンの独占開発、湖北省、湖南省、四川省のような地方都市に中央製鉄所、機械工場、発電所、化学工場を建設することなどが骨子となっていた。 1934年の交換条約の取り決めにより、中国はドイツから技術提供を受け、ドイツには稀少原料を提供した。これらの取引は中国の対独貿易赤字となることが多かったが、1932年から1936年にかけてタングステンの価格が2倍に上昇したため、いくらかは緩和された。 1936年にはヒトラーは中国に1億マルクの借款を与え、その借款で中国はドイツから武器を購入した。また、10年間にわたり毎年1,000万マルク相当の鉱物資源がドイツに提供されることとなった。 1936年1月、南京政府訪独団がドイツを訪れ、2000tのタングステンを提供している。同年4月8日には、独中間で借款貿易協定がむすばれ、ドイツは中国政府に1億マルクの追加融資を行った。推進者は国防省官房長のヴァルター・フォン・ライヒェナウ中将であった。ライヒェナウはクラインらと中国軍備拡張計画を練り、六個師団からなる十万の軍、将来的には30万にまで拡張する新たな軍事顧問団の創設を構想した。ほか沿岸部防衛のため、四隻の高速魚雷艇の輸出(最終的には50隻まで提供)、揚子江防衛のための15㎝砲台と機雷封鎖設備を供給する計画であった。7月には三ヵ年計画を開始、クルップとシーメンスによる中央鋼鉄廟・兵器工場、化学メーカーIGファルベンによる爆薬研究所、ダイムラー・ベンツによる国有自動車会社などの建設をすすめた。 これにより、1931年には中国の貿易額において対ドイツが米日英に次いで5%を占めていたのに対して、1936年には17%を占めるようになり、英国を抜いて日本に並び、3位となった。
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