軍事理論とマーケティング戦争
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「経営戦略論」の記事における「軍事理論とマーケティング戦争」の解説
1980年代、戦略論研究者たちは、数千年に渡って研鑽されてきた軍事戦略理論を経営戦略に応用できるのではないかと考えた。彼らは孫子の兵法(孫武)、戦争論(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)、遊撃戦論(毛沢東)などの軍事戦略書を、経営学の古典として利用したのである。孫子からは軍事戦略の戦術的側面や具体的な戦術について、クラウゼヴィッツからは軍事戦略の動態性と予測の難しさについて、毛沢東からはゲリラ戦術の原則について学び、それらの知見がマーケティング戦略へと応用された。彼らは、企業は顧客を巡る戦争で競合他社に勝利しなければならないと考え、それをマーケティング戦争 (marketing warfare) と呼び、軍事理論を適用した。マーケティング戦争に勝利するための戦略 (strategy) という意味で "Marketing Warfare Strategy" という用語を提案した。 フィリップ・コトラーの一連の書籍は、軍事戦略を応用したマーケティング戦略の書籍として良く知られている。 基本的な戦略は、以下のように大別される。 攻撃的マーケティング戦略 (offensive marketing warfare strategies) 防御的マーケティング戦略 (defensive marketing warfare strategies) 奇襲型マーケティング戦略 (flanking marketing warfare strategies) ゲリラマーケティング戦略 (guerrilla marketing warfare strategies) マーケティング戦争に関連する研究者達は、他にもリーダーシップ、モチベーション、情報収集(intelligence gathering、情報活動)、マーケティング・ウェポン、ロジスティクス(logistics、兵站)、コミュニケーションなどについても研究を行った。 だが20世紀も終わりが近づくと、マーケティング戦略は徐々に注目を失っていった。競合他社と対決するよりも、時に協調するほうが良いと思われるシチュエーションが多いと認識され始めたからである。1989年、Dudley LynchとPaul L. KordisはStrategy of the Dolphin: Scoring a Win in a Chaotic World を出版した。彼らは書籍の中で、どんなときには攻撃的な戦略をとり、どんなときには受動的な戦略をとればよいか、その指針について論じている。 1983年には、J. MooreもDudleyらと似たような比喩を使っている。彼は軍事学の比喩を利用するのではなく、捕食者と被食者という生態学の比喩を用いた。 1970年, アルビン・トフラーは著書未来の衝撃の中で、変化率 (rate of change) が加速する傾向にあると記述した。彼は、社会的・技術的な規範の寿命が世代を追う事に短くなっていることを示し、社会はいかにして動揺や不安に対処するのかという問いを立てた。過去の世代では、「変化期」は常に「安定期」と交互に訪れていた。そのため、変化を受け入れ、また次の変化に備えるための余裕があった。だが「安定期」はどんどん短くなり、20世紀後半には完全に消失してしまった。1980年、彼は著書第三の波で、この容赦の無い変化を、農業化・工業化に続く文明化の第三の波であると論じた。彼は、この新たな局面の幕開けは前世代の人々に大きな不安を引き起こし、ビジネスの世界に多くの衝突と機会をもたらすだろうと主張した。1990年代初め頃より、多くの研究者が、この局面における経営戦略について論じることとなった。 1997年、1997年、Watts WakerとJim Taylorは、この激変を500年のデルタ (500 year delta) と呼んだ。彼らは、このような大きな変局は5世紀ごとに訪れると論じ、理性の時代 (Age of Reason) からアクセスの時代 (Age of Access) への転換が訪れていると主張した。その語、 ジェレミー・リフキン(英語: Jeremy Rifkin)によって、アクセスの時代という言葉は広められていった。 1968年、ピーター・ドラッカーは断絶の時代 (Age of Discontinuity) という言葉で、我々の連続的な日々の生活に訪れる混乱を表現した。連続の時代 (age of continuity) においては、ある程度、過去の経験から未来を予測することができる。だがドラッカーによれば、断絶の時代にある我々には過去に基づいて未来を予測することはほとんど無意味だという。今日の流れが、明日も続くとは限らないのだ。彼は、断絶を引き起こす要因として、技術、 グローバリゼーション、文化多元主義、知識資本 (knowledge capital) の4つを挙げた。 2000年、ゲイリー・ハメルは戦略の衰退 (strategic decay) について論じた。彼によれば、どれほど優れた戦略であろうとも、時とともにその輝きは失われ、戦略の価値は自然と失われていくという。 1978年、 デレク・アベル (Dereck Abel) は戦略の窓 (strategic windows) について論じ、どの戦略においても参入と退出のタイミングが重要であると論じた。この考え方は、一部の戦略策定者が計画的陳腐化を戦略に盛り込むきっかけとなった。 1989年、チャールズ・ハンディ(英語: Charles Handy)は、2種類の変化を区別した。戦略的漂流(Strategic drift) は、取り返しがつかなくなるまで気づかれることのない、ゆっくりとした変化であり、根本的変化 (transformational change) は突然で急激な変化である。後者は、典型的にはビジネス環境の断絶(外生的ショック)によって引き起こされる。変化の始まりを、アンディ・グローブは戦略的転換点(strategic inflection point)と呼んだ。転換点は、密かに進行して捉えにくい場合もあれば、急激に訪れる場合もある。 2000年、マルコム・グラッドウェル(英語: Malcolm Gladwell)は、 転換点(英語: tipping point (sociology))の重要性を説いた。転換点とは、「あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間」のことである。 1983年、ノエル・ティシュ(英語: Noel Tichy)は、我々人間は心地よいと感じる行為を繰り返す傾向がある生き物だと論じた。彼によれば、この傾向こそが人間の創造性を制約する罠であり、新たなアイデアを探索したり、新たな問題の複雑性に正面から取り組んだりすることを阻害するという。彼は、技術と生産、政治と資源配分、企業文化という3つの視点から取り組まなければならないような新しい問題に、体系的に対処する方法を考案した。 1990年、リチャード・パスカル (Richard Pascale) は、絶え間の無い変化にさらされる状況では、ビジネスは絶えず自身を改革し続けなければならないと論じた。昨日の強みが今日の弱みに変わることを意味する「成功は失敗を呼ぶ (Nothing fails like success)」という有名な格言は、彼のものである。我々は、きのう上手くいった方法に頼ってしまい、それを捨て去ることができな。有効な戦略は、自己承認的に強化されてしまうのである。この罠を避けるためには、建設的なものであれば衝突もいとわず、探求心ある健全な議論を促進する必要がある。企業は、創造的な自己革新プロセスを奨励してやらなければならない。 1996年、Art Kleinerは、変化に対応できるような企業文化をはぐくむためには、異端者、ヒーロー、無法者、空想家(英語: visionary)を雇わなければならないと論じた。階層組織では有用な中間管理職として機能した保守的な官僚は、最近では役に立たないのである。彼にさかのぼること10年、Peters and Austin (1985) も、チャンピオンとヒーローを育てる重要性を説いている。我々は新しいアイデアを見過ごしてしまう傾向があるから、新しいアイデアに賭ける勇気を持つ人々を支援しなければならないのである。 1996年、エイドリアン・スライウォツキー(英語: Adrian Slywotzky)はビジネス環境の変化は産業間・企業間・企業内の価値の移転が反映されていることを示した。彼は、無秩序に見える変化を理解したいと願うなら、これら価値の転移のパターンを認識する必要があると論じた。著書ザ・プロフィット (1999)にて、「ビジネスは、新たに価値を得られるパターンを手に入れようと試みる、戦略的先行 (strategic anticipation) である」と論じた。 1997年, クレイトン・クリステンセンは、著書『イノベーションのジレンマ』において、偉大な企業は正しいことを正しく行うがゆえに失敗する、と論じた。企業の能力 (capability[要曖昧さ回避])は、企業の強みであると同時に、企業の弱み (disability) でもあるからだ。クリステンセンの理論は、偉大な企業は破壊的技術に直面したときにそのリーダーシップを失うという。 多くの戦略策定家が、変化に対応するためにシナリオ・プランニング(英語: scenario planning)の手法を用いている。例えばKees van der Heijden (1996) は、変化と不確実性は最適な戦略の決定を不可能にするという。我々は、そのような事象に対処するに十分な時間も、情報も、得られないからだ。我々は、最適ではなく「最も巧みなプロセス (the most skilful process) 」を望むことしかできないのである。1991年、Peter Schwartz[要曖昧さ回避]は戦略的成果は前もってわからないため、競争優位の源泉もあらかじめ決まることはないと論じた。 激しく変化するビジネス環境は、我々が競争優位から持続的な価値を生み出す公式を発見するには、不確実すぎるのである。シナリオ・プランニングは、常に複数の未来を考え、それぞれのもつ含意を考慮し、発生確率を評価する。Pierre Wackによれば、シナリオ・プランニングは、洞察力と複雑性と巧妙さの複合物であり、公式的な分析や数字を扱うものではないという。 1988年、ヘンリー・ミンツバーグは、変化する世界を鑑み、戦略的経営のなんたるかを問い直す時期であると考えた。彼は、戦略的プロセスを検証し、戦略とは人々が考えるよりもずっと流動的で予測しがたいものであるとの結論を得た。そのため彼は、戦略的計画(英語: strategic planning)と呼ばれるプロセスだけに目をむけることはせず、戦略には5類型があると指摘した。 計画 (plan) としての戦略:方向性、導き、行動計画 = 事前の意図 策略 (ploy) としての戦略:競争相手に勝利するための画策、策略 パターンとしての戦略:過去の行為の一貫したパターン = 意図ではなく既に実現されているもの ポジションとしての戦略:ステイクホルダー群の中におけるブランド・製品・企業の位置づけ = 企業外要因によって決定される戦略 視座 (perspective) としての戦略:戦略決定者によって決定される戦略 1998年、ミンツバーグは戦略的経営の5類型を10の学派(schools of thought)へと分類し、それぞれをカテゴライズした。 第一グループ(非公式プラニング派、公式的プランニング派、分析的ポジショニング派) 第二グループ(企業家&リーダーシップ派、認知プロセス派、学習適応派、パワー&交渉派、企業文化&集団プロセス派、ビジネス環境反応派) 第三グループ(各学派のハイブリッド) 1999年、Constantinos Markidesは戦略的計画の本質を再検討しようと志した。彼は、戦略形成と戦略実行は、絶えざる評価と再形成を必要とする不断のプロセスであると考えた。戦略的経営は、事前に計画されるものであると同時に事後的に生じるものであり、ダイナミックで、双方向的なものなのである。J. Moncrieff (1999) は、戦略的ダイナミクス(英語: strategy dynamics)の重要性を指摘した。彼は、戦略には意図的なものとそうでないものがそれぞれ含まれていると考えた。意図的ではない戦略としては、機会や脅威の発生に伴う緊急戦略 (emergent strartegies) と、 組織成員のアドホック (ad hoc) な行動の結果生じる「行為の中の戦略」の、2種類があると整理した。 事業家達の一部は、複雑性理論を利用した戦略策定アプローチ (complexity theory approach to strategy) を利用し始めている。複雑性とは、一種のカオスであると考えられる。カオス理論は、不安定なシステムが急速に無秩序に向かう現象を扱うものである。複雑性は、全く予測できないということを意味するわけではない。あたかも何らかの構造を持つかのような、多様なエージェントの相互作用を検討する概念である。Axelrod, R.、 Holland, J.、Kelly, S. and Allison, M.A.らは、多面的な行動と反応のシステムを複雑適応系 (complex adaptive systems) と呼んだ。Axelrod は、複雑性は抑止するべきだと主張した。彼は、「多様な参加者の間に膨大な相互作用が存在するとき」には、大量の試行錯誤による学習と、他者の成功を何度もまねすること」が最善の方法であると論じた。2000年、E. Dudikは、組織は将来生じるであろう複雑性の源泉とレベルを理解するためのメカニズムを発達させ、それに対処するために自らを複雑適応系へと変化させる必要があると論じた。
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