1962年から1965年
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「テイラー (DD-468)」の記事における「1962年から1965年」の解説
1962年の残りと1963年前半をハワイ周辺の活動で過ごしたテイラーは、1963年6月4日に第7艦隊の任務に就くためハンターキラーグループと共に真珠湾を出た。極東への展開中、テイラーは横須賀、佐世保、スービック湾の基地だけでなく神戸、香港、沖縄、そして釧路にも寄港している。北海道の釧路へ寄港したのは「ピープル・トゥ・ピープル・プログラム」(People to People Program)へのテイラーの貢献であり、日米親善に大いに役立つことになった。これらの活動以外にも、11月29日に真珠湾に帰るまでに数多くの片務的・双務的な演習に従事している。テイラーは1964年4月までハワイ周辺で活動し、乾ドックにおける3か月間のオーバーホールを挟んで再び活動に戻った。 11月23日、テイラーは対潜空母ヨークタウン(USS Yorktown, CVS-10)とタウシッグ(英語版)(USS Taussig, DD-746)と共に真珠湾を出てアジア方面へ戻り、一行はミッドウェイ島を経由して12月3日に横須賀へ到着した。4日後、テイラーは空母ハンコック(USS Hancock, CV-19)とミサイル駆逐艦ジョセフ・ストラウス(英語版)と共に沖縄近海で2週間の対空・対潜演習に参加する。12月19日、佐世保に戻ったテイラーはそのまま休暇を過ごしつつ新年を迎えた。 1965年1月4日、テイラーは佐世保を出てヨークタウンとタウシッグと共に香港を目指した。香港で5日間を過ごした後、3隻はフィリピン海で複数の特別任務に従事してから2月24日にスービック湾へ入った。4日後にテイラーはフィリピンを出て3月3日に佐世保へ着いた。ちょうど2週間後に南シナ海西部に向かったテイラーは、3月21日にベトナム沿岸に到着し、その後5週間にわたって現地で哨戒を続けた。4月27日にテイラーは海域を離れ、5月3日から6日までのつかの間の横須賀寄港を挟み、13日に真珠湾へ戻った。ハワイ周辺での活動の後、テイラーは12月6日に入渠修理に入った。
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