1962年のレギュレーション変更
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「フェラーリ・P」の記事における「1962年のレギュレーション変更」の解説
国際自動車連盟 (FIA) の国際スポーツ委員会 (CSI) は、1962年からワールド・スポーツ・カー・チャンピオンシップ (WSCC) をGT(グランド・ツーリングカー)クラスにのみ与えることを決定した。これに対し当時世界3大レースのひとつに数えられていた、ル・マン24時間レースの主催者フランス西部自動車クラブ(ACO)は大いに不満を表明した。その言い分はGTはSports(スポーツ・事実上のオープンクラス)に比べて明らかにスピードが遅く、レースとしての興味が薄れ、興行として成り立たなくなり存続が危ぶまれるというものだった。結局ACOはCSIに強く働きかけ、1962年シーズンもスポーツをプロトタイプ(Prototype )またはエクスペリメンタル(Experimental )として出場させてしまった。これを知った各耐久レースの主催者(セブリング・タルガ・フローリオ・ニュルブルクリンク等)もそれに習いACOと同様の措置をとった。 CSIは結局これらのレース主催者からの圧力に屈して、1963年からプロトタイプまたはエクスペリメンタルを正式なカテゴリーとして取り上げ、ここにGT Prototypeが生まれた。GT Prototypeは年間最低生産台数の規定がないこと、ウインドスクリーンの高さが20cm以上であることを除けばほぼGTの規格(1963年当時)に準じており、自動車としての最低限の居住性・対侯性・視界を備えていれば、GTの規格の中で(量産を前提としないため)高度なレーシングマシーンを製作することは、当時の高性能スポーツカーメーカーであればどのメーカーでも可能なレギュレーションとなった。チャンピオンシップのポイントそのものはプロトタイプカーには与えられなかったが、以後耐久レースで優勝争いをするのはこのカテゴリーの参戦車となった。
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