コンセプトカー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 10:01 UTC 版)
コンセプトカーは、自動車メーカーが展示目的で製作した自動車のこと。モーターショーや、各メーカーのショールームなどにおいて展示されることが多い。北米では1950年代から存在し、「ドリームカー」、「フューチャーカー」、「ハローモデル」などと呼ばれた。
概要
コンセプトカーが作成される目的は、各自動車メーカーが今後のデザインや技術の方向性を表現するためである。
市販を前提としていないコンセプトカーは、主にデザインを発表するための作品として発表され、自走できない場合も多いが、デザインや動力要素の一部は市販車両に反映されることがある。一方、市販を前提としたコンセプトカーは完全にそのまま市販出来るレベルの車として制作され、先行お披露目(ティーザーキャンペーン)的な意味合いで展示される。
コンセプトカーを扱った作品
映像作品
- ドキュメンタリー「幻のコンセプトカー大全集」シリーズ(ディスカバリーチャンネル)
- 第1回 「幻のビュイック・センチュリオン」
- 第2回 「幻のXP-21ファイヤーバード」
- 第3回 「幻のフォード・X-100」
- 第4回 「幻のキャデラック・サイクロンXP-74」
- 第5回 「幻のファイヤーバードⅡ」
- 第6回 「幻のフォード・マスタング」
- 第7回 「幻のビュイック・ワイルドキャッツⅡ」
- 第8回 「幻のビュイックXP-300」
- 第9回 「幻のフォード・サンダーバード」
- 第10回 「幻のアルファロメオ B.A.T.5」
- 第11回 「幻のアルファロメオ B.A.T.7」
- 第12回 「幻のアルファロメオ B.A.T.9」
ゲーム
ギャラリー
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ビュイック・Y-Job(1938年)
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ファントム・コルセア(1938年)
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Alfa Romeo BAT 5(1953年)
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General Motors Firebird I(1953年)
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en:Oldsmobile Golden Rocket(1956年)
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en:Cadillac Cyclone(1959年)
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en:Mako Shark (concept car)(1961年)
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アルファロメオ・カラボ(1968年)
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フェラーリ・モデューロ(1970年)
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マセラティ・ブーメラン(1971年)
関連項目
- アメリカ車 - 登場・普及のきっかけは、1950年代当時、SFパルプ雑誌に頻繁に登場していた空飛ぶ自動車のデザインを採り入れたコンセプトカーの展示が展示会などで好評を博し、実際に商品化を望まれた事による。
- GM Futurliner(英語版) - ゼネラルモーターズのコンセプトカーであるが、車体自体が展示ブースとなっており、複数台でキャラバンを組み、北米各地(英語版によると中南米が含まれる可能性もある)を巡業した。
- パイクカー
- 新興自動車メーカー(光岡自動車、童夢、テスラモーターズ、サリーン、タッカー(「タッカー・トーピード」のみ開発・生産)) - 新規参入企業の場合、市販第1号車種(もしくは最初の市販予定車種)が既存メーカーのコンセプトカーの様にデザイン重視最優先となっているケースが多い。その他、似てるケースとしては、長い歴史を誇る名門メーカーでありながら政治的な理由(企業所在国が共産圏入りしてしまった等)の為に新車種開発が長い低迷期に入り、政治体制が自由経済に移行したのに伴い通常の自動車企業として国際市場に復帰するのに辺り、思い切ったデザインや設計コンセプトを採り入れるケースもある。
- フォルクスワーゲン・タイプ1 - しばし販売コスト低減が最優先され易い各国国民車計画であるが、後援している政治体制が先鋭的な政治プロパガンダを重視したものである場合、大衆的国民車であってもデザイン製が重視されたケースの典型実例。
- レトロフューチャー
- レトロ#懐古調外観の乗り物
- カーデザイナー
- 宣伝
外部リンク
- 林孝一, 馬場亮太, 御園秀一 ほか、日本のショーカーの変遷とデザインの役割の変化 『デザイン学研究』 2014年 60巻 6号 p.6_39-6_48, doi:10.11247/jssdj.60.6_39
- トヨタ自動車>コンセプトカー>フォトギャラリー
- 日産自動車>コンセプトカー(年代順)
プロトタイプカー
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「ジネッタ・カーズ」の記事における「プロトタイプカー」の解説
2009年、ザイテックと共同で、ジネッタ・ザイテック GZ09S(英語版)を開発した。ルマン・シリーズのLMP1,2両クラスに参戦、LMP2クラスで2勝し、ドライバー、チームのダブルタイトルを獲得した。2010年のルマン・24時間レース(英語版)ではナイジェル・マンセルが2人の息子、レオとグレッグと共に参戦。結果はリタイヤだった。 2015年に創設された、フランス西部自動車クラブ(ACO)のル・マン・プロトタイプ(LMP)3のコンストラクター承認を受けた。 2014年、ジュノ・レーシングカーズをジネッタが買収。その合同制作で2015年にLMP3マシン、ジネッタ・ジュノ P3-15(英語版)がデビュー。2015年のELMSでは6台が参戦。ドライバー、チームのダブルタイトルを獲得した。 2018年、LMP1マシンである、ジネッタ・G60-LT-P1を開発した。2018-19年FIA 世界耐久選手権では、TRSM・レーシングが、2台のG60-LT-P1で参戦した。ル・マン24時間レース(英語版)では、5号車が総合41位クラス5位でフィニッシュし、6号車は電気系統のトラブルによりスタートから10時間後にリタイアした。 2020年から、ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ、アジアン・ル・マン・シリーズ、IMSA・プロトタイプチャレンジ(英語版)にLMP3マシン、ジネッタ・G61-LT-P3を供給した。
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