1962年の再選
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「1961年の国際連合事務総長の選出」の記事における「1962年の再選」の解説
1962年5月、アドレー・スティーブンソン大使は、ウ・タントの再選に賛成することを表明した。その後、ウ・タントは1962年10月のキューバ危機の解決に大きな役割を果たした。ソ連のニキータ・フルシチョフ首相がケネディ大統領に宛てた書簡の中で、ウ・タントを好意的に評価していたため、2期目の再選が確実となった。しかし、他の安全保障理事会理事国は、米ソが他の理事国に相談せずにウ・タントの再選を決めたことに困惑していた。 11月30日、安全保障理事会は秘密会合を開き、ウ・タントを1966年11月3日までの任期で任命することを勧告するコミュニケを採択した。ソ連のワレリアン・ゾリン大使は、現実に合致しているのはトロイカ体制のみだという主張を再度行った上で、キューバ危機での積極的な行動を評価して、ウ・タントに投票することにした。 ウ・タントは個人的な理由から、アメリカが望んでいた「ハマーショルドの任期満了から5年」ではなく、「自分が選出されてから5年」で2期目の任期を開始することを希望していた。安全保障理事会では正式な決議は採択されず、ウ・タントは今後、自身の就任から5年間を1期目とみなすことになった。 総会では109-0-0(1名欠席)で採択された。ウ・タントは事務総長代行から事務総長に昇格し、任期は、代行としての就任から5年後となる1966年11月3日までとなった。
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