1962年クーデター
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「ミャンマー軍」の記事における「1962年クーデター」の解説
1960年の選挙では、ウー・ヌが首相に復帰し、Pyidaungsu党(連邦党)主導の文民政府が国の統治を再開した。 1962年3月2日、当時の国軍総参謀長であったネ・ウィン将軍が1962年のビルマクーデターを起こし、「連邦革命評議会」を結成した。真夜中ごろ、軍は戦略的要所を確保するためヤンゴン市内への移動を始めた。ウー・ヌ首相と彼の閣僚たちは保護拘留された。午前8時50分、ネ・ウィン将軍はラジオでクーデターを発表した。ネ・ウィンは、「連邦の状態が著しく悪化しているため、軍が国の安全を維持する責任と任務を引き継いだことを、連邦市民の皆様にお伝えせねばならない」と述べた。 その後12年間、国は軍により支配されることになった。 ビルマ社会主義計画党が唯一の政党となり、その正党員の大部分は軍人であった。政府の公務員は軍事訓練を受け、軍事情報局が国の秘密警察として機能した。
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