1962年から現在、民主党の天下
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「バーモント州の歴史」の記事における「1962年から現在、民主党の天下」の解説
州の人口構成が変化していった。1960年、人口の25%は州外の生まれだった。これら移民の多くは民主党の支配する州から来た者であり、民主党へ投票する者が増えていった。この変化を予測した共和党は1958年に大衆自由討論会を実施し、議席を獲得する為の最後の機会と見ていた。これが間違いとなり、民主党のウィリアム・H・メイアーが102年振りに勝利した。 情勢は変化したが議会は変わらなかった。1つの町に1人の下院議員、1つの郡に1人の上院議員を送り出していたので、田舎の方が数で優位となり、都会の特にチッテンデン郡のいらいらは募った。1964年、アメリカ合衆国最高裁判所が「1人1票」の原則で議員定数を見直すようバーモントに強制したので、上下両院とも人口に応じた議員数の配分となった。 昔とは異なり、どの党も選挙で確信が持てなくなった。不文律の「2期」ルールも有名無実化した。知事は自分のできる限り長く務め、その政策が職を去った後も続くと保証できなくなった。バーモントは1962年以来知事の出身政党について代わり番こに選んでいる。しかし、その期間も民主党が議会の多数を占め続けた。
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