三田和夫
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(1921年6月11日ー1991年2月11日)盛岡市に生まれる。1943年日本大学芸術科卒業。読売新聞社に入る。 1947年、シベリアより復員、読売社会部に復職。法務省、国会、警視庁、通産省・農務省も各記者クラブ詰めを経て、最高裁司法記者クラブのキャップとなる。 1958年7月22日、横井英樹襲撃事件で犯人隠避容疑により逮捕される。25日間を留置場ですごし帰宅する。当時の新聞で、自身が愚連隊の一味として書かれていたという。読売新聞を退社し、翌年に三田コン株式会社を設立するも、2年ほどで倒産してしまう。以後、フリージャーナリストになる。 1967年、株式会社正論新聞社を設立する。1968年2月、松本清張の小説『深層海流』に三田の『赤い広場―霞ヶ関』からの盗作が十数か所見られるとして松本を著作権侵害で告訴するが、同年7月不起訴処分となった。
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