三田光一による月の裏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 09:58 UTC 版)
「三田光一」も参照 福来の発案で、1931年6月24日に行われた実験。地球から見る事のできない「月の裏側」を三田光一が透視して念写したとされるが、当時はそれが実際の月と一致しているか確認する術が無かった。岐阜新聞社の主催で行われた1933年11月12日の実験でも同じ画像が写されている。 その後、宇宙開発の発展によって探査機などから月の裏側が撮影され、三田の念写とは大きく異なる事が判明するが、1983年に電子工学者の後藤以紀は、NASAが公開した月の地形が、向きを変えた三田の念写とほぼ合致していると主張し(NASAの画像を引用しての説明は行っていない)、飛騨福来心理学研究所(岐阜)では、これを以って念写の正しさが証明されたとしている。一方で福来心理学研究所(宮城)では、三田の念写を裏返した状態であれば、画像の濃淡の8割が一致したとして、やはり三田の透視は正確であるとしているが、この状態を正しい月の念写とした場合、後藤らは全く見当違いの画像を元に一致を主張していた事になる。 心霊研究家の近藤千雄は1994年の著書で、三田が念写した月の上にNASA発表のクレーターの位置を記したとされる画像を「NASAが撮影したもの」であるとして三田の念写と並べ、主要な地理が完全に一致していると紹介した。1992年に日本テレビで放送された『ワンダーゾーン』でも、三田の念写を基に作られた画像を「最近の宇宙探査によって作られた月球儀」と偽って三田の念写と比較しており、三田が念写した月とNASAが公開した月の画像がそっくりだったという誤解が発生している。
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