真贋を巡る議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/11 21:50 UTC 版)
『聖プラクセディス』には「Meer 1655」と読めるものと「Meer N R o o」と読めるものの、二つの署名がある。二つ目の署名の意味として、「Meer naar Riposo」すなわち「Riposoに倣って、Meer」という解釈があった。「Riposo」はフェリーチェ・フィチェレッリのあだ名、「Meer」はフェルメールの姓の別形「van der Meer」である。調査の結果、ウィーロックはどちらも絵画完成時になされたフェルメール自身の署名であると結論付けた。しかし、別のフェルメールの専門家である、フェルメール作品を3点所有するマウリッツハイス美術館の絵画修復責任者ヨルヘン・ワダムは、最初の署名は作品完成後のずっと後になってから付け加えられたものであり、二つ目の署名もあまりに「稚拙」で議論に値しないと切り捨てている。 『聖プラクセディス』に使用されている顔料はおそらく17世紀のものであり、イタリアではなくオランダ製の顔料である可能性が高いといわれている。ウィーロックはフェルメール作の2点の歴史画との作風の類似性から、『聖プラクセディス』をフェルメールの真作であると鑑定した。また、『聖プラクセディス』の聖女の表情と、フェルメールの初期の作品『眠る女』に描かれている女性との描写の類似を指摘し、さらにフェルメールのカトリックへの改宗がこのような宗教的題材を選ばせたと主張している。フェリーチェ・フィチェレッリの『聖プラクセディス』がイタリアから持ち出されていた可能性は低く、フェルメールがイタリアを訪れていたこともまずなかったとされているが、ウィーロックはフェルメールがイタリア絵画に対する深い造詣を持っていたことを指摘している。 1998年にワダムは『聖プラクセディス』はフィチェレッリの作品の模写でも、その他の作品からの模写でもないと明言した。その理由として、背景に描かれているモチーフが前景に描かれているモチーフよりも制作時間的に前に描かれていることを挙げ、これは模写の制作手順ではなくオリジナル作品の制作手順であるとした。さらに『聖プラクセディス』に見られる特徴的な波うつ筆使いが、フィチェレッリ作とされている絵画数点の筆使いとよく似ていることから、『聖プラクセディス』はこれらの作品を描いたフィチェレッリと見られているイタリア人画家の手によるものだと主張している。そして、ワダムはフェラーラの作品の作者の同定については留保した上で、2003年に行われた会見中に『聖プラクセディス』はフェルメールの作品ではないと再度明言した。ウィーロックが1997年に出版した『フェルメール:全作品集 (Vermeer: the Complete Works )』には『聖プラクセディス』が収録されているが、ワルター・リトケが2008年に出版した『フェルメール:全絵画集 (Vermeer: the Complete Paintings )』には『聖プラクセディス』は収録されていない。 2012年3月にウィーロック、リトケ、サンドリーナ・バンデラ監修のもとでローマで開催されたフェルメール作品展には、『聖プラクセディス』も含まれていた。 所有者からの寄託を受けて、2015年3月から『聖プラクセディス』を展示している国立西洋美術館は、研究者の間で意見が一致していないことを理由に、作者名に関して、「フェルメールに帰属」と表記して展示している。
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