真贋と来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 05:48 UTC 版)
「ミラフロレスの祭壇画」の記事における「真贋と来歴」の解説
『ミラフロレスの祭壇画』は20世紀初頭になるまではほとんど忘れ去られ、無視されていた作品だった。この祭壇画がファン・デル・ウェイデンの作品であると最初に同定したのは、ドイツ人美術史家マックス・ヤーコプ・フリートレンダー (en:Max Jakob Friedländer) が著した初期フランドル派に関する先駆的な大著『15、16世紀のネーデルラント絵画の名作 (Meisterwerke der niederländischen Malerei des 15. und 16. Jahrhundert )』で、1950年代初めのことである。エルヴィン・パノフスキーも1950年代にこのフリートレンダーの著書をもとにして『ミラフロレスの祭壇画』の詳細な説明と複雑な宗教的寓意についての文献を残している。 オリジナルの『ミラフロレスの祭壇画』よりもわずかに小さいが、忠実に模写された複製画が現存している。この複製画の右翼はニューヨークのメトロポリタン美術館が、左翼はグラナダの王室礼拝堂 (en:Royal Chapel of Granada) が所蔵している。この複製画はカスティーリャ女王イサベル1世が所有していたもので、長い間オリジナルの祭壇画とされ、複製画だとは考えられていなかった。しかしながら、1956年の終わりに美術史家マックス・ヤーコプ・フリートレンダーが「グラナダ王室礼拝堂の祭壇画のほうが有名で、ベルリンの絵画館の祭壇画はその複製であるとして重要視されていなかった。だが、絵画館の祭壇画は類をみないほど大切に保管されてきた作品である。絵画館の祭壇画は礼拝堂のそれよりも劣っている箇所も見受けられるが、礼拝堂の祭壇画は極めて良く描かれた複製画である」とした。そして、近年の下絵や塗装技法などの研究技術の発達により、グラナダ王室礼拝堂とメトロポリタン美術館の祭壇画が絵画館の『ミラフロレスの祭壇画』よりも後に制作されたことが確定することとなった。1982年に実施された年輪年代学を用いた測定によって、グラナダ王室礼拝堂とメトロポリタン美術館の祭壇画に使用されているオーク材が、ファン・デル・ウェイデンが死去した年と考えられている1464年よりも後年の、1492年以降に切り出された木材であることが判明したのである。これに対し絵画館の『ミラフロレスの祭壇画』で使用されている木材は1406年ごろの年輪が残っており、おそらく1420年代初頭に切り出されたものと考えられている。さらに赤外線による下絵の調査で、絵画館の『ミラフロレスの祭壇画』には完成に至るまでに何度も構成が変更されていることが判明しており、このことも絵画館の『ミラフロレスの祭壇画』が模写による作品ではないことを証明している。 『ミラフロレスの祭壇画』は、イサベル1世の父であるカスティーリャ王フアン2世からの依頼で制作されたもので、1445年ごろにスペインのブルゴスの近くにあったカルトゥジオ会ミラフロレス修道院に寄進された。イサベル1世が『ミラフロレスの祭壇画』の複製画を注文したのは、このような祭壇画が「宗教的権威の高揚、あるいは作者、所有者の地位の向上」をもたらすためだったと考えられる。
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