カタリーナ・ボルネス
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カタリーナ・ボルネス(オランダ語: Catharina Bolnes、1631年 - 1688年)は、画家のヨハネス・フェルメールの妻として知られる女性。フェルメールの作品のモデルになったという説がある。
生涯
1631年にロッテルダム北東の都市ハウダのカトリックの家庭に生まれる。母はマーリア・ティンス、父はレイニエル・ボルネス(Reynier Bolnes)だった[1]。レイニエルはレンガ職人で、マーリアは名門の家系で市長出身者もおり、カタリーナは裕福な親戚がいる環境で育った[2][3]。レイニエルは家族に暴力をふるい、子供時代のカタリーナは一人で食事をするようになり、9歳の時には父親が妹のコルネリアを殺そうとしていると言って近所の人々に助けを求めている[3]。マーリアは離婚し、娘と共にデルフトに引っ越した[† 1][1]。
カタリーナはデルフトのマルクト広場に面したアウデ・ラネンダイク通りで母と暮らし、フェルメールと交際した。二人が知り合ったきっかけは明らかではなく、フェルメールの少年時代の師匠コルネリス・リートウェイクの家で出会ったとする説や、マーリアの遠縁にあたる画家でフェルメールの師匠だった可能性があるアブラハム・ブルーマールトの紹介だったとする説もある[4]。当時のネーデルラントは、未婚の若い女性が一人で仕事や市場に出かけたり、酒場でビールを飲んだり男性と歓談することが珍しくなかった。フェルメールの父レイニエル・ヤンスゾーン(Reijnier Janszoon)は、マルクト広場に面した酒場兼宿屋のメーヘレン亭を経営しており、カタリーナとフェルメールが会っていた可能性もある[† 2][5]。
フェルメールは画家として修行中の身で、マーリアは二人の結婚に反対した。理由としては、フェルメールがプロテスタントで信仰の違いがあった点や、フェルメールの家柄との違いを気にしたという説もある[6]。フェルメールの友人である画家のレオナールト・ブラーメルはマーリアのもとを訪れて、二人の結婚を認めるように説得した[† 3][8]。1653年4月5日にカタリーナはフェルメールと結婚した[9]。1660年の年末からは、カタリーナとフェルメールはマーリアの家で生活した[† 4]。カタリーナとフェルメールの間には14人の子供が生まれ、そのうち4人は幼少期に死亡している。子供たちはカトリック系の名前を付けられ、カトリック教徒として育てられた[† 5][10]。当時のネーデルラントの家庭では、子供は2人か3人が一般的であり、カタリーナとフェルメールが大家族であることを選んだのは二人が良好な関係にあったためと推測されている[3]。

カタリーナが直接に残した言葉は、夫の死後に書かれた嘆願書だけである[3]。晩年のフェルメールは金策に悩まされ、1975年に死去した際には借金が残された。カタリーナは8人の未成年の子供がいる未亡人となり、夫が遺した絵画を売って返済にあてようとしたが、1976年には自己破産の申請をした。カタリーナは夫の死因について、仏蘭戦争の影響で絵画が売れず苦しんでいたと語り、債権者を満足させることができないと主張した。自己破産は認められ、破産管財人にはアントニ・ファン・レーウェンフックが選ばれた[12]。
マーリアは孫(カタリーナの子)に財産を残し、孫が成人するまでは売却を禁じる遺言書を作成して死去した。マーリアの遺言は、娘や孫のために債権者から財産を守る意図があったとされるが、マーリアの遺産を運用できないカタリーナは借金を重ねた[13]。1684年にはカトリック教徒が多いブレダに住み、年金支給額を増やしてくれるようハウダ市に頼んでいる。デルフトに戻ってからは娘のマーリアと義理の息子ヨハネス・クレイマーの家で暮らし、1688年12月30日に最後の秘蹟を受け、1689年1月2日にデルフトの新教会の墓地に埋葬された[3][13]。カタリーナの子供たちは成人後にマーリアの遺産を相続した[14]。
フェルメール作品との関係
カタリーナはフェルメール作品のモデルだったとする説がある。たとえばアンドレ・マルローは、フェルメールが妻や娘をモデルにしたと想像した[15]。キュレーターのアーサー・K・ウィーロックは、『手紙を書く女』が描かれた頃のカタリーナは30代前半から中頃であり、モデルの可能性が高いと論じた。その他の候補として、『窓辺で手紙を読む女』、『天秤を持つ女』、『青衣の女』、『兵士と笑う女』などがあるが、いずれも根拠はない[3][16]。
フィクションにおけるカタリーナ
トレイシー・シュヴァリエの小説『真珠の耳飾りの少女 (小説)』(1999年)は、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』をテーマにしており、フェルメールやカタリーナが登場する。語り手である少女フリートから見たカタリーナは、金髪の巻毛に楕円の顔、目は茶色いボタンに似ており、磨いた真鍮のような艶のある声をしていると描写されている[17]。フリートがフェルメール家で召使として働くと、カタリーナはフェルメールとフリートの関係を疑うようになる。フェルメールはフリートをモデルに絵を描き、それを見たカタリーナは、夫の芸術を理解せずに作品を破壊しようとする。フェルメールがカタリーナをモデルに描こうとしない点も、カタリーナの嫉妬の原因だった[† 6][19]。
この作品のカタリーナ像はアーサー・ウィーロックやサイモン・ジェンキンスらによって批判されており、ウィーロックはカタリーナが不快な人物であるという根拠は存在しないと指摘している[3]。
脚注
注釈
- ^ ネーデルラント連邦共和国では夫が妻を暴力で支配することは禁じられていた。また、女性は商取引、公正証書の作成、資産の相続や遺贈ができた[4]。
- ^ ネーデルラント女性の自由な暮らしを見た外国人は、彼女たちをふしだらだと考えることもあった[5]。
- ^ ブラーメルがフェルメールの師匠だったとする説もある[7]。
- ^ 兄のウィレムは暴力をふるい、臨月のカタリーナを棒で追いかけて脅したりしたため、市当局が矯正院に隔離した[10]。
- ^ 記録が残っている子供の名は、マーリア、エリーザベス、コルネーリア、アレイディス、ベアトリックス、ヨハネス、ヘールトライト、フランシスクス、カタリーナ、イグナチウス[11]。
- ^ 2003年の映画版ではエッシー・デイヴィスがカタリーナを演じた[18]。
出典
- ^ a b スナイダー 2019, p. 67.
- ^ 小林 2008, p. 32.
- ^ a b c d e f g Essential Vermeer 2025a.
- ^ a b スナイダー 2019, p. 68.
- ^ a b スナイダー 2019, p. 69.
- ^ 小林 2008, pp. 30–32.
- ^ 小林 2008, p. 72.
- ^ スナイダー 2019, 原注Ⅳ.
- ^ 小林 2008, p. 30.
- ^ a b 小林 2008, pp. 32–33.
- ^ 小林 2008, 資料55-56.
- ^ 小林 2008, p. 35.
- ^ a b 小林 2008, p. 36.
- ^ 小林 2008, p. 40.
- ^ 小林 2008, p. 191.
- ^ Essential Vermeer 2025b.
- ^ シュヴァリエ 2000, pp. 5–6.
- ^ “Girl with a Pearl Earring” (英語). IMDb. 2025年2月18日閲覧。
- ^ シュヴァリエ 2000, pp. 249–251.
参考文献
- 小林頼子『フェルメール論 神話解体の試み』(増補新装版)八坂書房、2008年7月。ISBN 978-4-89694-913-1。
- トレイシー・シュヴァリエ『真珠の耳飾りの少女』木下哲夫 訳、白水社、2000年6月。 ISBN 4-560-04693-X。(原書 Chevalier, Tracy (1997), The Virgin Blue)
- ローラ・J・スナイダー『フェルメールと天才科学者 17世紀オランダの「光と視覚」の革命』黒木章人 訳、原書房、2019年2月。 ISBN 978-4-562-05634-7。(原書 Snyder, Laura J. (2015), Eye of the Beholder: Johannes Vermeer, Antoni van Leeuwenhoek, and the Reinvention of Seeing.)
- “Catharina and Johannes: Did Vermeer Ever Paint his Wife Catharina?”. Essential Vermeer.com website. 2025年2月8日閲覧。
- “The Complete Interactive Vermeer Catalogue Officer and Laughing Girl/(De Soldaat en het Lachende Meisje)”. Essential Vermeer.com website. 2025年2月13日閲覧。
関連文献
- 朽木ゆり子、前橋重二『フェルメール巡礼』新潮社〈とんぼの本〉、2011年11月。 ISBN 978-4-10-602227-2。
- 桜田美津夫『物語 オランダの歴史 大航海時代から「寛容」国家の現代まで』中央公論新社〈中公新書 2434〉、2017年5月。 ISBN 978-4-12-102434-3。
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