カタリーナ・ベルヒカ・ファン・ナッサウとは? わかりやすく解説

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カタリーナ・ベルヒカ・ファン・ナッサウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 06:27 UTC 版)

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カタリーナ・ベルヒカ・ファン・ナッサウ
Catharina Belgica van Nassau

称号 ハーナウ=ミュンツェンベルク伯爵夫人
出生 (1578-07-31) 1578年7月31日
アントウェルペン
死去 (1648-04-12) 1648年4月12日(69歳没)
デン・ハーグ
埋葬 デルフト、新教会
配偶者 ハーナウ=ミュンツェンベルク伯フィリップ・ルートヴィヒ2世
子女 一覧参照
家名 オラニエ=ナッサウ家
父親 オラニエ公ウィレム1世
母親 シャルロット・ド・ブルボン=ヴァンドーム
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カタリーナ・ベルヒカ・ファン・ナッサウ(Catharina Belgica van Nassau, 1578年7月31日 - 1648年4月12日)は、オラニエ公ウィレム1世(沈黙公)の娘で、ドイツのハーナウ=ミュンツェンベルク伯フィリップ・ルートヴィヒ2世の妻。

生涯

ホラント州その他の総督を務めるウィレム1世と、その3番目の妻でモンパンシエ公ルイ3世の娘であるシャルロット・ド・ブルボンの間の6人の娘たちのうちの三女として生まれた。名前は「ベルヒカ(Belgica)」が公式の表記だが、カタリーナ・ベルヒカ本人は「ベルヒア(Belgia)」と自署するのを好んだようである。1596年にディレンブルクにおいて、フィリップ・ルートヴィヒ2世と結婚した。

1612年に夫と死別したとき、世継ぎの長男フィリップ・モーリッツはまだ7歳と幼年だったため、1627年に息子が成人するまでは伯爵領の単独後見人を務めた。しかし最初のうちは、カタリーナ・ベルヒカと夫の親族との間で、帝国最高法院(Reichskammergericht)において後見人の地位をめぐる法廷闘争が行われた。また息子が成人した後も実権を手放そうとしなかったため、息子と対立して、マールブルク大学法学部や帝国最高法院が仲裁に入り、ようやく実権を手放した。

長男の親政開始後はヴィンデッケン城(Schloss Windecken)などいくつかの城を寡婦領として与えられたが、1634年にハーナウ伯爵領の全域が三十年戦争の戦場と化すにおよび、家族とともに国外に退去した。そのまま実家を継いでいた異母弟フレデリック・ヘンドリックを頼って暮らし、1648年に亡くなった。遺骸はデルフトの新教会に安置された。

子女

  • シャルロッテ・ルイーゼ(1597年 - 1649年)
  • 次女(名前不明、1598年)
  • フィリップ・ウルリヒ(1601年 - 1604年)
  • アマーリエ・エリーザベト(1602年 - 1651年) - 1619年、ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム5世と結婚
  • カタリーナ・ユリアーネ(1604年 - 1668年) - 1631年にゾルムス=ラウバッハ伯アルベルト・オットー2世と結婚、1642年にヴィート=ルンケル伯モーリッツ・クリスティアンと再婚
  • フィリップ・モーリッツ(1605年 - 1638年) - ハーナウ=ミュンツェンベルク伯
  • ヴィルヘルム・ラインハルト(1607年 - 1630年)
  • ハインリヒ・ルートヴィヒ(1609年 - 1632年)
  • フリードリヒ・ルートヴィヒ(1610年 - 1628年)
  • ヤーコプ・ヨハン(1612年 - 1636年)

参考文献

  • Barbara Bott: Ein Kinderbild der Gräfin Katharina Belgia. In: Hanauer Geschichtsblätter 20 (1965). S. 279 – 292.
  • Reinhard Dietrich: Die Landesverfassung in dem Hanauischen = Hanauer Geschichtsblätter 34. Hanau 1996. ISBN 3-9801933-6-5.
  • Pauline Puppel: Die Problematik der Ausübung von Vormundschaften in Herrscherhäusern durch Mütter, erörtert und analysiert am Beispiel der Gräfin Catarina Belgia von Hanau-Münzenberg. Marburg 1997 [Staatsexamensarbeit], ungedruckt.
  • Pauline Puppel: Amelie Elisabeth – Eine Hanauerin als Landgräfin von Hessen-Kassel, in: Der Dreißigjährige Krieg in Hanau und Umgebung, hg. vom Hanauer Geschichtsverein 1877 e.V. anlässlich der 375. Wiederkehr des Entsatzes der Stadt, Hanau 2011, S.151-196.



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