カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリンとは? わかりやすく解説

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カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 02:14 UTC 版)

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カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン
Katharina von Brandenburg-Küstrin
ブランデンブルク選帝侯
在位 1598年 - 1602年

出生 (1549-08-10) 1549年8月10日
神聖ローマ帝国キュストリン
死去 (1602-09-30) 1602年9月30日(53歳没)
神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領、ケルン
埋葬 神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領ベルリン大聖堂
配偶者 ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒ
子女 本文参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク=キュストリン辺境伯ヨハン
母親 カタリーナ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
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カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン(Katharina von Brandenburg-Küstrin, 1549年8月10日 - 1602年9月30日)は、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの最初の妃。選帝侯ヨアヒム1世ネストルの次男であるブランデンブルク=キュストリン辺境伯ヨハンの次女で、ヨアヒム・フリードリヒの父ヨハン・ゲオルクの従妹にあたる。母はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ2世の長女カタリーナ(1518年 - 1574年)である。

1570年1月8日にヨアヒム・フリードリヒと結婚し、11人の子をもうけた。

カタリーナの死の翌年の1603年にヨアヒム・フリードリヒは、カタリーナと同じホーエンツォレルン家の同族で息子ヨハン・ジギスムントの妻アンナの妹である、プロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの四女エレオノーレと再婚した。




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