アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > ホーエンツォレルン家 > アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルクの意味・解説 

アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 06:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルク
Anna Katharina von Brandenburg
デンマーク=ノルウェー王妃
在位 1597年 - 1612年

出生 (1575-06-26) 1575年6月26日
神聖ローマ帝国、マグデブルク大司教領、ハレ
死去 (1612-04-08) 1612年4月8日(36歳没)
 デンマークコペンハーゲン
埋葬  デンマークロスキレ大聖堂
配偶者 デンマーク=ノルウェークリスチャン4世
子女 一覧参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒ
母親 カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン
テンプレートを表示

アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルク:Anna Katharina von Brandenburg, 1575年6月26日 - 1612年4月8日)は、デンマーク=ノルウェーの王クリスチャン4世の最初の王妃。デンマーク語名ではAnna Cathrine af Brandenburg。

ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒと妃カタリーナの娘として、ハレで生まれ、ヴォルミルシュテットで育った。

1597年11月に、ハンスボー城(南ユトランドにあったが、のち焼失した)でクリスチャンと結婚した。クリスチャンの最初の妃であるが、彼女についてはよく知られていない。夫に同行してしばしば旅行したが、政治的に影響力を行使することはなかったと思われている。存命中、穏やかな気性で深い信仰心をもった女性と賞賛されていた。アンナ・カタリーナが王妃であった頃にローゼンボー城の建設が始まったが、建物や内装に彼女の意向があったのかどうかも定かでない。

子女

  • フレデリク(1599年、夭折)
  • クリスチャン(1603年 - 1647年)
  • ソフィー(1605年、夭折)
  • エリサベト(1606年 - 1608年)
  • フレデリク3世(1609年 - 1670年)
  • ウルリク(1611年 - 1633年)




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルク」の関連用語

アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS