兵士と笑う女
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『兵士と笑う女』(へいしとわらうおんな、蘭: De Soldaat en het Lachende Meisje, 英: Officer and Laughing Girl)は、オランダの画家ヨハネス・フェルメールが1655年から1660年の間に描いた絵画[1]。『士官と笑う娘』[2]、『士官と笑う女』[3]などの日本語表記もある。キャンバスに油彩で描かれた作品で、2023年現在、ニューヨークのフリック・コレクションが所蔵している[4][5]。
注釈
- ^ ヨーロッパが大西洋やアジアで行う貿易は、それまでスペインやポルトガルが独占していた。スペインとポルトガルはトルデシリャス条約によって新世界の分割を定めてローマ教皇アレクサンデル6世の承認も得ていたが、オランダやイギリスが新興勢力として参入した[10]。
- ^ オランダはインドネシア、台湾、長崎などに拠点を築き、香辛料や明・清の陶磁器を運んだ。また、大西洋を越えて北米にニューネーデルラントなどの植民地を建設し、毛皮貿易を行った[10]。
- ^ 1641年にロッテルダムを訪れたイギリス人のジョン・イーヴリンは、あちこちで絵を売っていることに驚いて記録している[13]。
- ^ フェルメールの最初の風俗画は『眠る女』(1656年-1657年頃)である[15]。
- ^ フェルメール作品の消失点の特徴については、植木ほか (2004)[19]も参照。
- ^ 特に光を厚塗りで表現する方法は、フェルメールの1650年代末までの彩色法に顕著だった。1660年代からは厚塗りを使う箇所が減り、食器、果物、ワイン差し、袖などの限られた場所になってゆく[22]。
- ^ そのため、所蔵館であるフリック・コレクションのヘンリー・クレイ・フリックは、この絵を最も好んでいた。談笑する男女が、父親である自分と娘の会話を思い出させるというのが理由だった[28]。
- ^ フェルメールの没後の財産目録には、「黄色のサテンのガウン、白の毛皮縁付き」という服がある[32]。
- ^ ただし、フェルメールの没後の財産目録には、鎧、兜、槍はあるが軍服はない[32][33]。
- ^ デ・ホーホやファン・デル・ブルクは、より仕事が多いアムステルダムへ移っていき、フェルメールはデルフトで創作を続けた[34]。
- ^ 15世紀にヨーロッパのビーバーが乱獲で激減したのち、16世紀にカナダの植民地で毛皮貿易が盛んになり、ビーバー毛皮が輸入された[35]。
- ^ フェルメールの親族には、ディルク・ファン・デル・ミンネという名のフェルト職人兼帽子職人がいた[33]。
- ^ スペインはヨーロッパ有数の強国でもあったため、勝利を誇るオランダ人は多かった[1]。
- ^ 初期のオランダ絵画では、地図は女性の俗っぽさを表すための小道具としても用いられた[38]。
- ^ デ・ホーホとフェルメールは扱う題材が似ているため、フェルメール作品がデ・ホーホ作品と間違えられることもあった[29]。
- ^ 同時代の風俗画家であるデ・ホーホ、ヘラルト・テル・ボルフやフランス・ファン・ミーリスらは、それらの事物を表現に使った[43]。
- ^ フェルメールは、『眠る女』では制作中に描いていた教訓的な要素を完成版で塗りつぶしている[25]。
- ^ 当時はハンス・フレーデマン・デ・フリースの『透視法』などの理論書が存在していた[54]。
- ^ 『兵士と笑う女』、『中断されたレッスン』、『婦人と召使』の3点である[56]。
- ^ 個人蔵だった時代には、1886年のパリのシャンゼリゼ宮殿の展覧会、1891年と1900年のロンドンの展覧会に出されている[1] 。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Essential Vermeer 2001.
- ^ a b c d e f ウィーロック 1991, p. 64.
- ^ スナイダー 2019, p. 291.
- ^ 朽木 2006, pp. 218–223.
- ^ a b “Johannes Vermeer, Officer and Laughing Girl”. フリック・コレクション. 2020年8月8日閲覧。
- ^ 小林 2017, p. 154.
- ^ a b 小林 2008, pp. 176–177.
- ^ 小林 2008, 作品一覧.
- ^ 小林 2008, p. 94.
- ^ a b c ブルック 2014, pp. 19–22.
- ^ a b ブルック 2014, pp. 39–40.
- ^ 小林 2017, pp. 4–6.
- ^ 小林 2008, p. 57.
- ^ 小林 2008, pp. 56–58.
- ^ 小林 2008, p. 85.
- ^ 小林 2017, pp. 4–6, 22–23.
- ^ 小林 2008, pp. 94–96.
- ^ a b 小林 2008, p. 95.
- ^ 植木ほか 2004, pp. 27–28.
- ^ 小林 2008, p. 96.
- ^ a b 小林 2008, p. 154.
- ^ 小林 2008, p. 107.
- ^ 小林 2008, pp. 94–96, 107.
- ^ 小林 2017, p. XII.
- ^ a b c 小林 2008, p. 177.
- ^ ブルック 2014, pp. 38–39.
- ^ 小林 2017, pp. 28–29.
- ^ a b c 朽木 2006, pp. 218–219.
- ^ a b c d e ベイリー 2001, p. 50.
- ^ ブルック 2014, pp. 口絵2-口絵4.
- ^ ブルック 2014, pp. 58–59.
- ^ a b 小林 2008, フェルメール没後の財産目録.
- ^ a b c d ブルック 2014, p. 37.
- ^ ブルック 2014, pp. 242–243.
- ^ a b ブルック 2014, pp. 56–60.
- ^ ブルック 2014, p. 36.
- ^ 寺井 2003, p. 42.
- ^ a b ブルック 2014, p. 360.
- ^ ブルック 2014, p. 39.
- ^ 小林 2017, pp. 28, 55.
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- ^ a b 小林 2017, p. 28.
- ^ 小林 2008, pp. 83, 175–177.
- ^ a b 小林 1999, p. 169.
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- ^ Seymour 1964.
- ^ Shwarz 1966.
- ^ Fink 1975.
- ^ Weelock 1977.
- ^ Gowing 1952.
- ^ 中村 2000, pp. 37–38.
- ^ a b 小林 2008, pp. 158–163.
- ^ 中村 2000, pp. 33–34.
- ^ 小林 2008, p. 160.
- ^ 小林 2008, p. 48.
- ^ a b 小林 2008, 作品来歴一覧.
- ^ 小林 2017, pp. 82–83.
- ^ 朽木 2006, pp. 219–220, 223.
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