カメラ・オブスクラとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 03:14 UTC 版)
「兵士と笑う女」の記事における「カメラ・オブスクラとの関係」の解説
フェルメールが制作に光学機器を用いたかという問題は19世紀から論争が続いており、そのきっかけが『兵士と笑う女』だった。1891年に版画家のジョセフ・ペネルは、男女の大きさの違いは写真の効果と同じではないかと論じた。1946年にハイヤット・メイヤーは、とある画家が1755年にカメラ・オブスクラを制作に使ったという記録をもとに、フェルメールも同じ機器を使った可能性があると論じた。1952年にローレンス・ガウイング(英語版)は、顕微鏡の発明者であるアントニ・ファン・レーウェンフックがフェルメールと近しい関係にあった点を根拠として、カメラ・オブスクラ使用説をとなえた。。 1971年にD.A.フィンクは、フェルメールがカメラ・オブスクラで見た像を正確に写しとったという説を出した。これに対してアーサー・K・ウィーロックは、フェルメールはカメラ・オブスクラの像をヒントにして、その特徴を利用したと反論した。1995年にヨルゲン・ウェイドムは、フェルメール作品では当時の透視法が厳格に適用されていると分析し、カメラ・オブスクラの像を正確に写した空間ではないと論じた。 仮にカメラ・オブスクラを使ったとすると、当時は長焦点で画角の狭いものが多かったため、大型のものを使った可能性がある。しかし、フェルメールの没後の財産目録にはカメラ・オブスクラはない。蔵書はあったため、その中に透視法の理論書が含まれていた可能性はある。
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