ローマ教皇招聘計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:55 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国のカトリック」の記事における「ローマ教皇招聘計画」の解説
金日成は、1990年以降の北朝鮮の国際的孤立に際して焦慮の念をいだき、ローマ教皇を平壌に招聘することを一時検討した。1991年、ローマ教皇を平壌に招くための常務組(プロジェクトチーム)が外務省内に設けられた。プロジェクトチームは教皇訪問に関連した儀典を外務省、宗教行事に関連した業務を統一戦線部が担当することとなったが、統一戦線部の職務態度は非協力的で全然やる気がみられなかった。実のところ、金日成は招聘計画を推進すべきと考えていたが、内政・軍事の権限を持っていた金正日はこの計画は取りやめるべきだとの決定を下していたのである。当時、「信者がいるならバチカンに連れてきてほしい」というローマ教皇庁側の要求に対し、統一戦線部がカトリック教協会に命じて信者を探し出し、ローマに連れていったことがあった。信者である老人女性は「北朝鮮にも宗教の自由がある」と教皇の前で述べ、カトリックの礼式通りに敬意を表した。教皇庁は彼女のまなざしを見ただけで信者であることを認めたというが、捜索からローマ行きまでの彼女の行動の一部始終は統一戦線部を十分に戦慄させるものであった。北朝鮮当局は結局、教皇が平壌に来ればカトリック旋風が巻き上がるであろうことを恐れ、わずか2カ月でプロジェクトチームを解散した。
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