ローマ教皇庁大使館の包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:08 UTC 版)
「ニフティ・パッケージ作戦」の記事における「ローマ教皇庁大使館の包囲」の解説
米軍による侵攻開始から5日目、ノリエガはローマ教皇庁大使館のモンシニョール・ラボアに電話をかけ、避難を受け入れてもらえなければ地方に逃げゲリラ戦を行うことを伝えた。決定までに与えられたわずか10分の時間の後、ラボアはバチカンには相談せずにノリエガが大使館の敷地内に入ることを許可した。彼は、パナマの政治が必要としている彼の役割は、ノリエガにバチカン領におけるアジール権を与えることではなく、米軍に投降するように説得することだと信じていたと述べ、当初からノリエガを欺いていたと告白した。ラボアは後になって、ノリエガが教会に避難する道を選んだことに「驚愕し狼狽した」と打ち明けている。 ノリエガは、ニヴァルド・マドリナン中佐、ノリエガを保護するための特殊部隊を率いていたパナマ秘密警察長官のエリエセル・ガイタン、元移民局長のベルギカ・デ・カスティージョと夫のカルロス・カスティージョの4名とともにローマ教皇庁大使館に避難した。彼は所有していた武器の大部分を引き渡し、庇護を求めた。滞在中、彼はエアコンやテレビの無い「荒れ果てた」部屋で聖書を読んで過ごした。 大使館に対する直接行動はすべて国際法に違反するため、米軍兵士は建物の外に包囲網を張った。 アメリカ合衆国国務長官のジェイムズ・ベイカーはバチカン宛に、「これは外交特権には当てはまらない。我々は彼を麻薬密売人として起訴している。あなたは失われたアメリカ人の生命がパナマにおける民主主義を回復させることを理解しなくてはならない。我々はノリエガが米国以外のいかなる国に行くことを許容するわけにはいかない」という内容の親書を出した。 バチカンのホアキン・ナヴァロ・ヴァルス(英語版)報道官は、米国外交官と米軍長官による強力なメッセージには従わないこと、ノリエガを引き渡すことはないと明言した。ナヴァロ・ヴァルスは教皇ヨハネ・パウロ2世は「ばかばかしいほどの軽率さ」による死を悼む以外に、この件に関しては何も語っていないことを明らかにした。 アメリカ陸軍は、「鼓膜が破れるほどの音量」でけたたましいロック音楽を鳴らす、大使館のフェンスに対して装甲車のエンジンを全開にする、「ヘリコプター着陸区画」を作るために近隣の区域に火を放ち、ブルドーザーで整地をするなどの心理戦へと転換した。報道によると、ザ・クラッシュのバージョンの"I Fought The Law (アイ・フォウト・ザ・ロウ)"、AC/DCの"You Shook Me All Night Long"、ガンズ・アンド・ローゼズの"Welcome to the Jungle (ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル)"、ジェスロ・タルの"Too Old to Rock 'n' Roll: Too Young to Die!"などが繰り返し再生された。 12月27日、心理戦はアメリカ特殊作戦軍の第4心理作戦対応部隊(英語版)に引き継がれた。ローマ教皇庁は大使館を包囲する米軍兵士の行動についてジョージ・H・W・ブッシュ大統領に苦情を申し立て、3日後にロック音楽は鳴り止んだ。 12月30日、バチカンはノリエガを亡命者ではなく「避難民」と考えていることを明確にした。その一方でモンシニョール・ラボアは、ノリエガの4名の同行者たちがノリエガにバチカンの庇護下に留まるよう勧めるのを防ぐため、彼らを別の建物に移動させた。そしてパナマとバチカンに請願して、その建物を大使館の所有地の範囲内に含めるために所有地を拡大することへの同意と、ノリエガに退去するよう説得することへの許可を求めた。後にラボアの友人は、ラボアは「ノリエガに働きかけ、屈するまで彼を心理的に操りたがっていた」とUPI通信社に語った。
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