駐日本国ローマ法王庁大使館とは? わかりやすく解説

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駐日本国ローマ法王庁大使館

(ローマ教皇庁大使館 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 15:15 UTC 版)

駐日本国ローマ法王庁大使館
Nuntius Apostolicus in Iaponia
ローマ法王庁大使館外観(2024年)
所在地東京都
住所東京都千代田区四番町7-3
座標北緯35度41分16秒 東経139度44分15秒 / 北緯35.6878696度 東経139.7374232度 / 35.6878696; 139.7374232座標: 北緯35度41分16秒 東経139度44分15秒 / 北緯35.6878696度 東経139.7374232度 / 35.6878696; 139.7374232
開設1966年
移転2024年9月30日[1]
教皇大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナスペイン語版英語版
ウェブサイトwww.cbcj.catholic.jp/japan/rome/
地図
千代田区三番町の駐日ローマ法王庁大使館正門(2020年)
千代田区三番町の駐日ローマ法王庁大使館敷地外観(2020年)
駐日ローマ法王庁大使館紋章

駐日本国ローマ法王庁大使館(ちゅうにほんこくローマほうおうちょうたいしかん、ラテン語: Nuntius Apostolicus in Iaponia英語: Apostolic Nunciature to Japan)は、バチカン聖座日本国に設置している大使館である。カトリック中央協議会などでは、駐日本国ローマ教皇庁大使館という表記を用いている[2]

概要

バチカンは、カトリック教会東方典礼カトリック教会の総本山として、イタリアローマの一角に鎮座する教皇を国家の統治者(バチカン市国基本法第一条)とする独立国家であり、国際法上の主権実体である聖座(教皇)の所在地でもある[3]

外交使節である教皇大使英語版(教皇使節)の派遣は、バチカン市国基本法第二条に基づきバチカンではなく聖座(教皇)が主権実体として派遣している。日本におけるカトリック教会の中央組織であるカトリック中央協議会は大使には「教皇大使」、大使館には「ローマ教皇庁大使館」の名称を用いている。日本政府が用いる正式名称は「ローマ法王庁大使」及び「ローマ法王庁大使館」である[4]。この頃には「羅馬教皇使節館」や「ローマ法王庁使節館」などの名称が用いられていた[5][6]が、1952年(昭和27年)の国交回復に伴い「ローマ法王庁公使館」となり、1966年(昭和41年)に「ローマ法王庁大使館」に昇格している。

日本政府は2019年(令和元年)より「法王」にかえて「教皇」の名称を用いているが、大使および大使館に関しては「法王庁」の名称を継続して用いている。報道等では「教皇庁大使館」の用語が用いられることもあるが[7][8]、「法王庁大使館」が用いられる場合もある[9][10]

歴史

日本と聖座の関係は1549年天文18年)のフランシスコ・ザビエル日本上陸に始まるとされている[3][11]。日本の大名には聖座に対して使節を送るものもおり、天正遣欧少年使節慶長遣欧使節など、教皇の謁見を受ける日本人も存在していた。しかしその後日本ではキリスト教が禁止され、長らく関係は途絶えることとなった。1885年明治18年)、教皇レオ13世は、明治天皇に対して信徒の保護を求める親書を送った。これが教皇庁と日本の外交関係の始まりであり、その後は慶弔の際などに親書が交わされている[12]

1919年大正8年)、教皇ベネディクト15世は日本への使節派遣を要望し、11月26日に初代教皇使節として ピエトロ・フマゾーニ・ビオンディ大司教が任命された[12]。12月6日に東京都京橋区明石町35番地に存在していた旧東京大司教館が教皇使節館とされた[13]。ビオンディは1920年(大正9年)3月11日に来日し、1921年(大正10年)3月26日に帰国した[13]

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって明石町の教皇使節館は焼失し、その後何度か移転を重ねた[14]。1925年(大正15年)、教皇使節館は麻布区新龍土町12番地に移転した[5][14]。この建物はバチカンとの国交樹立に尽力した外交官埴原正直が義父飯田義一の旧邸を教皇庁の施設として提供したものであった[15]

日本とバチカンの正式な外交関係は1942年(昭和17年)に成立したが、その後断絶した。1945年(昭和20年)4月、関係者が疎開していた新龍土町の建物は空襲によって全焼した[14]。1952年(昭和27年)1月22日、日本政府はバチカンとの国交回復を閣議決定した[16]。4月28日、「日本国との平和条約」発効に伴い、ローマ法王庁使節館はローマ法王庁公使館に格上げされた[16]。1958年(昭和33年)、日本は在バチカン公使館を 在バチカン日本国大使館ポーランド語版に格上げした。バチカン側は1966年(昭和41年)に「駐日ローマ法王庁公使館」を大使館に昇格した[17]

その後味の素の社長を務めた鈴木忠治の邸宅であった東京都千代田区三番町9-2の建物に移転した[18][19]2024年(令和6年)9月30日[1]、東京都千代田区四番町7-3に移転した。

駐日ローマ法王庁大使の一覧

歴代の駐日ローマ法王庁大使(Apostolic Nuncios to Japan / Apostolic Pro-Nuncios to Japan) および駐日ローマ法王庁公使(Apostolic Internuncios to Japan / Apostolic Delegates to Japan) 、駐日ローマ法王庁使節(Apostolic Delegates to Japan) にはカトリック教会の高位聖職者たる大司教が任命されている。

駐日ローマ法王庁使節(Apostolic Delegates to Japan)

ローマ法王庁使節、一般には教皇使節イタリア語版(Delegato Apostolica)とは、聖座との正式な外交関係を持たない国に、大司教区と信徒が存在する場合に派遣される恒常的な使節である[13]

駐日ローマ法王庁公使 (Apostolic Internuncios to Japan)

駐日ローマ法王庁大使 (Apostolic Pro-Nuncios to Japan)

  • ブルーノ・ヴュステンベルクドイツ語版英語版大司教(1966年 - 1973年)[20]
  • イッポリト・ロトリ英語版大司教(1974年 - 1977年)[20]
  • マリオ・ピオ・ガスパリ英語版大司教(1978年 - 1983年)[20]
  • ウィリアム・アクイン・カルー英語版大司教(1983年 - 1997年)[20]

駐日ローマ法王庁大使 (Apostolic Nuncios to Japan)

脚注

注釈

  1. ^ 2011年8月に任命され、日本国へ赴任(信任状捧呈日は12月14日)。2020年9月8日、在任中に東京都内の病院にて死去。

出典

  1. ^ a b 駐日外国公館リスト 欧州”. 外務省 (2024年11月12日). 2024年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月17日閲覧。移転日、移転後住所記載
  2. ^ カトリック中央協議会”. カトリック中央協議会. 2025年4月24日閲覧。
  3. ^ a b バチカン(Vatican) 日本国外務省
  4. ^ バチカン基礎データ”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2025年4月24日閲覧。
  5. ^ a b 1.羅馬教皇使節館ノ硝子窓破壊ニ関スル件」 アジア歴史資料センター Ref.B14090567100 
  6. ^ 22.羅馬教皇使節之部」 アジア歴史資料センター Ref.B15100606600 
  7. ^ 藤原伸雄「「弱い命のために…」ローマ教皇死去受け、教皇庁大使館で追悼記帳」『朝日新聞』2025年4月23日。2025年4月24日閲覧。
  8. ^ 天皇皇后両陛下がローマ教皇フランシスコの死去を受け 侍従長を弔問としてローマ教皇庁大使館に 2019年11月に陛下は教皇と宮殿で懇談”. TBS NEWS DIG (2025年4月23日). 2025年4月24日閲覧。
  9. ^ フランシスコ教皇の死去を受け都内の大使館で弔問受け付け” (2025年4月23日). 2025年4月24日閲覧。
  10. ^ 両陛下、ローマ法王庁大使館に弔問使 教皇死去受けてご派遣」『産経新聞』産経新聞社、2025年4月23日。2025年4月24日閲覧。
  11. ^ バチカン~中世と現代が共存する国家 『わかる!国際情勢』 日本国外務省
  12. ^ a b 片岡瑠美子 2007, p. 77.
  13. ^ a b c 片岡瑠美子 2007, p. 78.
  14. ^ a b c デジタル版 港区のあゆみ【キリスト教の対応と規制】”. 2025年4月24日閲覧。
  15. ^ 山内晴子「朝河貫一と埴原正直 : 日米関係における外交提言」『アジア太平洋討究』第19巻、早稲田大学アジア太平洋研究センター、2013年、106頁、ISSN 1347149XNAID 120005290531 
  16. ^ a b 片岡瑠美子 2007, p. 91.
  17. ^ 新しい駐日バチカン大使にレオ・ボッカルディ大司教 昨夏急逝のチェノットゥ大司教の後を受け」『日刊キリスト新聞』2021年3月12日。2025年4月24日閲覧。
  18. ^ 千代田区三番町にあるローマ法王庁大使館の建物の設計者は誰か。建築当初は、味の素の社長だった鈴木忠治の...”. レファレンス協同データベース. 2025年4月24日閲覧。
  19. ^ 駐日外国公館リスト 欧州”. 外務省 (2024年10月28日). 2024年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月17日閲覧。移転前住所記載
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 駐日ローマ教皇庁大使館”. カトリック中央協議会. 2019年11月24日閲覧。
  21. ^ 外務省: 駐日外国公館リスト 欧州(2011年11月30日時点のアーカイブ)
  22. ^ 新駐日教皇大使の任命について”. カトリック中央協議会 (2011年8月16日). 2019年11月24日閲覧。
  23. ^ 信任状捧呈式(コートジボワール・ローマ法王庁) (宮殿)”. 宮内庁. 2020年9月9日閲覧。
  24. ^ 駐日教皇大使ジョセフ・チェノットゥ大司教ご逝去のお知らせ”. カトリック中央協議会. 2020年9月8日閲覧。
  25. ^ 駐日教皇大使のジョセフ・チェノットゥ大司教が死去 76歳”. Christian Today (2020年9月9日). 2020年9月9日閲覧。
  26. ^ ジョセフ・チェノットゥさん 駐日教皇大使、大司教: 東京新聞 TOKYO Web
  27. ^ “新教皇大使の任命について”. カトリック中央協議会. (2021年3月11日). https://www.cbcj.catholic.jp/2021/03/11/22281/ 2021年3月12日閲覧。 
  28. ^ Rinuncia del Nunzio Apostolico in Giappone”. press.vatican.va (2023年9月1日). 2023年9月1日閲覧。
  29. ^ 駐日各国大使リスト|外務省”. 外務省 (2023年10月12日). 2023年10月19日閲覧。
  30. ^ “新教皇大使の任命について”. カトリック東京大司教区. (2024年1月25日). https://tokyo.catholic.jp/info/diocese/49350/?fbclid=IwAR0YkOavnzzeecvJMZFkrBHXYXDGLMeD7i6XzF7A-oQfGhJS-_6MzH5Fy3g 2024年1月26日閲覧。 
  31. ^ 新教皇大使の任命について | カトリック中央協議会

参考文献

関連項目

外部リンク




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