第3塔門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
ハトホル列柱室の壁を通り抜けると、ほとんど崩壊した横軸の部屋が、再建されたアメンホテプ3世の第3塔門に平行してある。かなり崩壊しているが、古代において非常に壮麗なものであり、その部分はアメンホテプ3世によって黄金で一様に覆われていた。前庭はアメンホテプ3世の治世後期に加えられ、次いで新王が神アメン=ラーの崇拝を拒んだ宗教革命によって計画が放棄される前に、アメンホテプ4世により未完成であった勝利の場面が部分的に装飾された。 第3塔門を建設する際、アメンホテプ3世は、自身が統治する以前に建てられた小さな門など、多くのより古い記念建造物を解体した。アメンホテプはこれら記念建造物からの何百ものブロックで塔門内部を満たすよう埋め込んだ。これらは20世紀前半にエジプト学者によって修復され、現在、カルナックの野外博物館にあるセンウセルト1世の「白い祠堂(英語版)」や女王ハトシェプストの「赤い祠堂」など、いくつかの失われた記念建造物の修復に結びついた。 塔門のレリーフは、その後さらに自身の肖像を挿入したツタンカーメンにより修復された。これらは次いで後のホルエムヘブによって消された。ツタンカーメンの消された肖像は長くアメンホテプ4世のものであろうと考えられ、おそらくアメンホテプ4世とアメンホテプ3世との間の摂政の証拠であろうとされたが、現在、ほとんどの学者はこれを否定している。
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