治世後期とは? わかりやすく解説

治世後期(1901年〜1913年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:29 UTC 版)

ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)」の記事における「治世後期(1901年1913年)」の解説

1901年1月22日に、イギリスヴィクトリア女王崩御すると、ゲオルギオス1世ヨーロッパで2番目に在位期間長い君主となったゲオルギオス1世は、新しくイギリス王となったエドワード7世変わらず良好な関係を保っており、両国の関係にも良い影響及ぼした。特に、イギリスからクレタ島総督務めゲオルギオス王子への援助取り付けるうえで、非常に重要なポイントとなった。しかし、クレタ島議会リーダーであるエレフテリオス・ヴェニゼロスが、ゲオルギオス王子失脚させるための運動展開したことにより、1906年ゲオルギオス王子総督辞任した1908年起きた青年トルコ人革命への対応が評価されヴェニゼロス権力基盤は更に強化され同年10月8日クレタ島議会はゲオルギオス・テオトキス首相アテネ政府による保留措置と列強の反対に関わらずギリシャ本国クレタ島統合決議案可決させた。しかし、各国はこれを承認せず、アテネ政府事実上黙殺し未解決事案として暫定的に国際委員会管理下に置かれることとなったそんな中下士官クラスの若い軍人達が「軍隊連盟」という組織結成して、軍の改革王制の廃止などを盛り込んだ計画議会提示した。しかし、ディミトリオス・ラリスがこれを拒否したことから、軍隊連盟クーデター起こしゲオルギオス1世民主的な選ばれ議会支持するように主張した結局軍隊連盟憲法改正のために議会召集するべく、ヴェニゼロス連携することを決めた最終的にゲオルギオス1世譲歩し1910年8月選挙が行われ、10月ヴェニゼロス首相となった。しかし、大部分野党連携拒否したことから、ヴェニゼロス12月に再び選挙行い安定多数確保することに成功したヴェニゼロスゲオルギオス1世は、希土戦争での惨敗による損害修復するべく、より強い軍隊保持する必要があるという点で一致していた。コンスタンティノス王太子は、陸軍監察官として復帰し、後に最高司令官となった王太子ヴェニゼロス厳密な監督の下、ギリシャ軍イギリスフランス援助によって再訓練受けて武装し海軍には新し艦船注文された。その一方でヴェニゼロス外交手段によって、当時弱体化していたオスマン帝国対抗するべく、バルカン半島キリスト教諸国との連携強化しバルカン同盟を結ぶに至った1912年10月8日に、モンテネグロオスマン帝国宣戦布告をすると、セルビア・ブルガリア・ギリシャが連名最後通牒送付してこれに合流し第一次バルカン戦争勃発した結果は、バルカン同盟側の勝利終わり厳し訓練経た総勢200,000名のギリシャ軍は、連戦連勝した。1912年11月9日に、ギリシャ軍ブルガリア軍より数時間早くテッサロニキ到着した。その数日後行われたパレードで、ゲオルギオス1世コンスタンティノス王太子ヴェニゼロス付き従うなか、ギリシャ第二の都市となったテッサロニキ意気揚々と乗り込んだゲオルギオス1世は、テッサロニキでもアテネ同様に護衛兵付けず街中歩き回った1913年3月18日午後テッサロニキホワイトタワー付近散策していた際、ゲオルギオス1世はアレクサンドロス・スヒナスに背後から至近距離銃撃され崩御した。スヒナスは取り調べの中で、「社会主義組織属していた」「国王自分に金を渡すことを拒否したので殺害した」と供述したギリシャ政府は、事件背景政治的な動機無く、スヒナスはアルコール中毒浮浪者であると発表した。スヒナスは刑務所拷問を受け、その6週間後に警察署の窓から転落して死亡したギリシャデンマークの国旗覆われゲオルギオス1世は、タトイ宮殿墓地埋葬される直前5日間は、アテネ生神女福音大聖堂安置された。

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