王制の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:01 UTC 版)
「ネパール共産党 (毛沢東主義派中央)」の記事における「王制の廃止」の解説
2007年4月1日、毛派から閣僚数名が参加した新政府が発足し、毛派と7党連合による国家運営が始まった。毛派はしばしば他党と衝突し、閣僚を何度か引き上げるなどして、要求を通そうとした。このため、制憲議会選挙の実施は延期になったが、ようやく2008年4月10日に実施された。その結果、大方の予想を裏切って、毛派は220議席を獲得し比較第一党となった。しかし過半数にははるかに及ばなかったので、他党との連立を模索せざるを得なくなった。(のちに内閣指名議員が加わり、229議席となる。)なお、第2党はネパール会議派115議席、第3党は統一共産党108議席であった(内閣指名議員を含む)。 2008年5月28日、制憲議会が召集され、毛派の宿願であった王制廃止が議決された。ギャネンドラ国王は退位し、王宮を去った。
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