国会の再開
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「ロクタントラ・アンドラン」の記事における「国会の再開」の解説
国営テレビでの演説で、ギャネンドラは2006年4月24日にネパール下院を再開させると宣言した。国王はSPAに対し、国家の統一と繁栄、永久平和の保証と複数政党制による民主主義の保証を軌道に乗せる責任を負うように呼び掛けた。SPAは議会の再開を受け入れた。そして、代表してギリジャー・プラサード・コイララが新内閣を組織することになった。SPAは「新議会は新憲法を起草する主体として選挙される」と述べた。 一方、マオイスト側はこれを拒否した。ナンバー2であるバーブラーム・バッタライは単に議会を復活させることは問題の解決にならないとし、政府軍との戦闘を継続する用意があると述べた。マオイストは制憲議会の設立と、王制の廃止に固執していた。しかし、2006年4月27日、コイララの求めに応じて一方的に3ヶ月の停戦を表明した。これに加えて、5月1日、バッタライは「もし(制憲議会の)選挙が自由かつ公正なものであるならば、その結果は尊重されねばならない。そうなれば、国民の審判に従う以外にない。」と述べた。このことは、マオイストが民主主義プロセスを受け入れた最初のサインとして大きな一歩とみなされた。 5月2日、コイララは新内閣の名簿を発表した。彼以外にネパール会議派から3人、ネパール統一共産党から1人、ネパール会議派民主から1人、統一左翼戦線から1人が入閣した。しかし、5月12日には追放された国王の政府により4人の閣僚が逮捕され、ゼネスト中の軍による人権侵害についての根拠のない疑いにより、調査が行なわれることになった。
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