国会の名誉議員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:53 UTC 版)
慣例上、50年に渡って日本の国会議員を務めた人物は、所属する議院から「名誉議員」の称号を与えられる。また、50年に渡って国会議員を務めた人物は憲政功労年金を受け取れる仕組みが1954年から2003年まで存在した。 現在に至るまで衆議院議員在職50年を達成したのは、尾崎行雄、三木武夫、原健三郎、中曽根康弘、櫻内義雄、小沢一郎の6名(櫻内は衆参両院通算、他5名は衆議院のみ)であり、この内、尾崎と三木に「衆議院名誉議員」の称号が贈られている。残りの4名については財政難のため与野党の合意がとれず、名誉議員の称号は棚上げとなっている(尾崎・三木の前例では名誉議員は国会議事堂内に胸像が建てられるため)。 以上6人の中の在職50年到達時最年少記録は小沢の77歳7ヶ月。また、三木以降の4人はいずれも与党議員で、野党議員として在職50年を迎えた国会議員は戦後では小沢が初である(尾崎の50年到達時は政党内閣ではなかったが、野党的な立場に立っていた)。なお、このうち櫻内義雄は「父櫻内幸雄の名前を書いた票は無効票とする」との判決が出て結果的に当選無効となった参議院議員としての在職期間を算入しなければ50年にならないが、公式に「国会議員在職50年」として表彰されたものである。 一方で、参議院議員として在職50年を迎えた例は存在しない(前述の櫻内は衆参通算50年だが在職50年到達時は衆議院議員)。大日本帝国憲法下の貴族院においては、閑院宮載仁親王が貴族院創設(1890年)から逝去(1945年)まで55年間議員であったが、皇族議員、特に陸軍軍人(元帥陸軍大将として逝去まで現役軍人だった)としての活動が主であった載仁親王の議員としての活動実態は皆無で、記録上のものにとどまる。臣下の議員については50年以上在職の例はなく、創設時から侯爵次いで公爵の資格で在職し続けていた西園寺公望は在任期間がおよそ50年になるが、称号を与えられたかは不明(他に、公爵徳川家達が創設から死去まで49年6か月在任)。なお、閑院宮は在職50年到達時75歳であった。
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