4月ゼネスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/13 13:57 UTC 版)
「ロクタントラ・アンドラン」の記事における「4月ゼネスト」の解説
SPAは、4月5日から4月9日までの4日間、全国にゼネストを呼びかけた。マオイストはカトマンズ盆地における停戦を呼びかけた。ゼネストは厖大なデモを引き起こしたため、4月8日、政府は夜間外出禁止令を発令、デモを行なうものは見つけ次第撃つように軍や警察に命令した。にもかかわらず、小規模な非組織的デモは続いた。4月9日、SPAはデモを無期限に行なう意思を表明、更に納税の拒否を呼びかけた。政府は夜間外出禁止令を強化する計画を発表し、デモにマオイストが忍び込んでいると主張した。 マオイストのプラチャンダ議長は「これはもはや野党の抗議行動ではない。一つの国民運動になっている」と述べ、自身も首都カトマンズで抗議デモを指導すると発言した。その後数日の間抗議デモは継続し、カトマンズの群衆は10万人から20万人に上り、市の人口の10%を占めた。4月21日反政府筋はカトマンズで50万人が抗議活動に参加したと主張した。より保守的な推計は30万人としている。 同日夜、ギャネンドラは国営テレビ局に出演し、SPAに新しい首相を選出するよう呼びかけ、「我々は国家の行政権を国民に返還する。SPAに責任を持って政府を運営できる首相を推薦するよう要請する。」と述べた。またできるだけ早く選挙を行なうよう呼びかけた。首相の地位は、2005年2月1日にギャネンドラがシェール・バハドゥル・デウバ首相を解任し、議会を無期限に解散して以来、空席となっていた。 しかし、国王の声明は反対派に拒絶された。翌日午後3時、SPAの指導者達はカトマンズで会合を開き、3つの要求を国王に突きつけた。すなわち、国会の再開、全政党による政府の設立、新憲法を制定するための制憲議会の選出である。
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