4月から5月の空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 23:48 UTC 版)
「東京大空襲」、「横浜大空襲」、および「川崎大空襲」も参照 4月2日、B-29約50機が来襲し東京都西部、神奈川県、埼玉県、栃木県方面に侵入し工業地帯に時限爆弾を投下した。『藤沢市史』は60機が辻堂地区上空に侵入、『日本列島空襲戦災誌』は辻堂に爆弾1発が投下され1軒が全壊したと記している。 5月17日、12時45分頃から2機のB-29に先導されたP-51 マスタング約40機が相模湾から神奈川県内に侵入し主に厚木海軍飛行場や藤沢海軍飛行場を攻撃後、13時過ぎに房総半島方面へ離脱した。『日本列島空襲戦災誌』は日本側に大きな被害はなかったが、藤沢上空でアメリカ軍のP-51 1機が撃墜されたと記している。 5月24日、1時30分頃からB-29 約250機が京浜地区に侵入し、東京都心部、神奈川県横浜市や川崎市に焼夷弾攻撃を敢行した。翌5月25日、正午頃からB-29に先導されたP-51 約30機が小田原や平塚方面を攻撃、22時23分頃からB-29 約250機が京浜地区に侵入し東京都心部を攻撃した。『藤沢市史』は両日間に藤沢警察署の所轄内で焼夷弾360発が投下され33戸が全焼、99人が被災したと記している。 5月29日、9時30分頃からB-29 約500機とP-51 約100機が横浜市および川崎市と東京都の一部に侵入し、約1時間半にわたり焼夷弾攻撃を敢行した(横浜大空襲)。『藤沢市史』はこの空襲の際に藤沢警察署の所轄内で1名が死亡したと記している。
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