革命期の役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 09:59 UTC 版)
国民衛兵が取って代わる以前、1254年から1791年までパリの法と秩序を維持したのは国王警護隊(Guet royal(ゲー・ロワイヤル))であった。実際、国王警護隊の最後の司令官(Chevalier du Guet)であったド・ラ・ロシエールは、1791年に国民衛兵隊長に選ばれている。1792年夏、国民衛兵の基本的な性格に大きな変化が生じた。連盟兵(fédérés(フェデレ))が新たに参加し、マンダ司令官が8月10日の蜂起の冒頭で殺害されたことにより、過激な革命主義者であるアントワーヌ=ジョゼフ・サンテールが国民衛兵を掌握し、率いることとなった。王制の廃止(1792年9月21日)の後、国民衛兵は革命のために戦い、フランス国民議会においてパリ市民の意向を貫徹するという点で重要な役割を果たした。議会は「愛国的な」銃剣の力の前に道を譲らなければならなかった。 テルミドールの反動(1794年7月27日)の後、テルミドール派の新政府によって国民衛兵を指揮下に収めたのは王党派であった。国民衛兵はヴァンデミエール13日(1795年10月5日)の王党派の反乱の際、総裁政府を倒そうとしたが、ナポレオン・ボナパルトの率いる軍隊に敗れ、武装解除された。
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