基本的な性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:22 UTC 版)
城柵は朝廷が本州北東部に支配域を拡げていく中で、その拠点として造営した施設である。20世紀半ばまでは蝦夷との戦争に備えた軍事施設として、城柵を最前線の砦と見る説が強かったが、1960年代以降の発掘調査で城柵に官衙が置かれていたことがはっきりすると、軍事・防衛機能を専一とする旧来のイメージは次第に改められていった。特に発掘調査の進展は、城柵の重要な構成要素が政庁を中心とした官衙であることを示している。しかし、城柵には軍団兵や鎮兵などの軍事力が常駐していたのも事実であり、官衙のみを重視する一面的な理解もまた適切でない。城柵の性格について政治的拠点と軍事的拠点のどちらを重視すべきかについての議論はあるにせよ、城柵とは律令国家の北方経営において軍政・民政の両面を執行した行政機関であり、西国の古代山城とはその性質を異にする。 一方、発掘調査の進展により、多賀城に代表されるような方形の外郭を持つ官衙的な城柵だけがその全てではないことも明らかになりつつあり、従来の官衙対軍事施設とは異なる別の視座からの対立軸を見出すこともできる。すなわち、形成史上は多賀城、胆沢城、城輪柵跡などに代表される王権の出先機関として築かれた官衙的な城柵及びその発展形の城柵と、桃生城や伊治城といった移民が集住する拠点であった囲郭集落に起源を持つとみられる城柵という2つの流れを見ることもできるのである。
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